野仏の里(富山市)

旧飛騨街道東路の面影

 

 富山から飛騨高山に通じる道は、飛騨街道と呼ばれていた。藩政初期は、富山→布市→東笹津→神通川右岸の舟渡、東猪谷等→高山(東路)と、五福→城生→神通川左岸の楡原、庵谷等→高山(西路)の2つが『越中道記』に書かれているという。
 幕末の天保7年(1836)の状況は、『増補大路小経』(石黒信由著)によると、本道、中往来、東路の3つがあり、いずれも、富山→最勝寺→栗山→八木山→東笹津を通り、本道は神通川を舟で渡り、楡原→西猪谷→蟹寺→古川→高山のコース、中往来は、本道の途中の蟹寺で宮川を籠の渡で越え、船津を経て高山に至るコース、東路は、笹津から神通川・高原川の東岸沿いを通り、船津を経て高山に出るコースであった。
 富山と飛騨の交易は当初、東路が中心だったが、富山藩の成立と町の整備にともない、富山町と笹津間が直線となり、西路が栄え、さらに中往来が開かれ、中心になっていったという。富山からは、米、塩、魚などが運ばれた。
 東路には野仏が多く見られ、「野仏の里」と呼ばれている。最大の石仏群(16体)が集落の南のはずれにある他、飛騨から流入したとされる変わった道祖神が猪谷発電所の貯水池手前右手の民家前に立っている。その他にも、地蔵、大日如来、馬頭観音、不動明王、猿田彦大神などの石像がある。それらを見ながら歩いていると、ゆったりした気持ちになれる。

 

参考/(ホームページ)県民カレッジ平成3年度テレビ放送講座「道を辿る〜街道の歴史と文化〜 第4回 鰤の道・飛騨街道」(高瀬 保著)、「越中の街道と石仏」(塩照夫著、北国出版社)

 

■関連 『飛騨街道と籠の渡し』(2019年10月号)


▲集落の南のはずれにある最大の石仏群。


▲男女2神が寄り添う双体道祖神。(道祖神は、村の守り神、子孫繁栄、近世では旅や交通安全の神として信仰されている) 


▲中央にやさしい顔とこわい顔が並ぶ石仏群。


▲左は、猿田彦大神像だそう。右側の像もかわいい。


▲旧加賀本藩第17代・前田利建氏の書による「東猪谷関所跡」の石碑。

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