辺呂川(富山市婦中町)
六治古(ろくぢこ)伝承の地
辺呂川にまつわる伝承がある。この川の近くに六治古という男が住んでいた。貧しいが老いた母に孝養を尽くしていた。年の暮れ、母に食べさせる為、市に出て生きた鮭を買い、その帰り道、ふと鮭が死んでいないか気になり、下須川という川のほとりで水に浸すと、鮭は泳ぎさってしまった。母に話すと、「そなたの心は鮭を食べたよりもうれしい」と六治古を慰めた。ある雪深く積もった夜、一人の娘が「雪道に迷ったので一晩泊めて下さい」とやってきた。老母が気の毒に思い、泊めてやると、そのまま六治古の家に住みつき、働くようになった。母は喜び、六治古の妻とした。妻は、「キビやヒエの耕作だけではいつまでたっても貧しい。辺呂川から水を引き、イネを栽培しましょう」と言い、水車・水路を作った。これにより、家は富み栄えた。玉のような男の子も生まれた。ある日、妻は自分は龍女であることを打ち明け、「鮭の姿になって神通川に住んでいて人に捕らえられたが、あなたに助けられたので、龍王があなたの孝心に感じて私をあなたの妻として遣わされた。家も富み、子孫もできて、私の役目は終わったのでこれで天に帰ります」と、龍の姿になって天に昇ってしまった。「息子が私を恋しがったら、裏山の池にきてください」と言い残していったので、息子とその池に行ってみると、母の面影が稲妻のようにきらめいて池面を走り過ぎた。そのことから、走影の池と呼ばれたという。息子は後に滝山城(富崎城の別名とも言われる)の城主ともなったという。
参考文献/「神通川と呉羽丘陵」(廣瀬誠著、桂書房)、「肯搆泉達録」(野崎雅明著、富山県郷土史会校注、KNB興産)、他
▲辺呂川は小さな川だ。水路から田に水を揚げる龍骨車(りゅうこつしゃ)のことを俗に「ベロ」と称す、と「肯搆泉達録」にある。六治古の3番目の弟の羽根児古(はねこのこ)がいた羽根村の田の稲が日照りで水が涸れたため枯れそうになった時、六治古の妻が龍骨車を作り、この川から水を揚げて救ったという。
▲六治古の父、貞治古を氏神として祀る稲荷神社。貞治古は、伊奘諾尊(いざなぎのみこと)の御子である事勝国勝長狭命(ことかつくにかつながさ)の子孫であるという。
▲六治古の息子・天児(あまこ)六郎が城主となったとされる滝山城(富崎城)跡。ただ、土地の人は滝山城と富崎城は別個の城であるというそうだ。
▲近くの各願寺。「曲水の宴」が開かれる。
▲富山藩主が城下を眺望した場所。婦中ふるさと創生館のそばにある。晴れた日には遠く称名滝も見えるという。
▲丘の夢牧場。景色が素晴らしい。