いたち川下流(富山市)

江戸から明治にかけ、主要な物流ルート

 今回は、松川といたち川の合流点から下流側のいたち川の景色を見ていきましょう。
 実はこの部分は、かつての神通川の川筋に当たります。(明治時代に入り、城を守る必要がなくなり、洪水も多発したことから、明治時代後期に、神通川を直線化する馳越線工事がおこなわれました。その後、富岩運河を掘り、沿線に工場を立地させると共に、掘削した土砂で廃川地を埋め立て、市街地を造成するという都市計画事業が実施されました)
 明治時代の途中まで、下流の岩瀬湊と、合流点の木町の浜の間を帆船など多くの船が行き交い、主要な物流ルートになっていました。この歴史の復元が待たれますが、高低差といたち川の洪水を解決して、船が安全に航行できるようにする必要があります。




▲松川といたち川が合流する一帯は、「木町の浜」と呼ばれましたが、神通川を川流しされた木材を陸揚げした地であることに由来するそうです。木町御蔵が置かれ、寛文12年(1672年)には6000石がここから大阪に積み出されています。いたち川・常願寺川を行き交う物資の陸揚げ場にもなっていました。

 


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