千歳桜の碑石と観世音堂(富山市)
富山の歴史を伝える
松川遊覧船のりば「松川茶屋」の裏に大きな石碑が建っていますが、これは、「千歳桜の碑石」と呼ばれます。江戸後期、富山10代藩主の前田利保が藩主の座を利友にゆずった後、嘉永2年(1849年)5月28日に新しく東出丸(現在の桜木町一帯)に千歳御殿を築きました。利保は千歳御殿に移り、桜を多く植え、千歳桜と言われたそうです。後年、神通川の馳越線工事(バイパス工事)の後、旧流路が埋め立てられ、松川が誕生した昭和9年、風雅会が35周年を記念してこの碑を建て、新しく松川の堤に桜の植樹をおこないました(なお、その桜は富山大空襲で焼け、現在の桜は戦後植えられたものです)。
碑石の右側には、「観世音堂」があります。桜木町の遊郭で心中する者、勤めが辛くて身を投げる者、泳ぎに入って水死する者がこの付近で多かったので、それを弔い、霊を慰めるために明治に入って祭られたそうです。
参考/案内看板、『明治の富山をさぐる』(水間直二編)
▲修理建設費寄付芳名表(昭和58年8月竣工)