磯部五如来像と地蔵菩薩像(富山市)

御坊町(現桃井町)の篤志家が建立、現在地に遷座

 

 江戸時代の安政(1854〜60年)の頃、御坊町(現桃井町)の篤志家が、釈迦如来・阿弥陀如来・薬師如来・大日如来・阿閦如来の石像「五如来」を建立した。明治時代初め、中長柄町の人々の請願により、富山城下西南の町端口の高台(中長柄町南側、ほぼ現在の磯部町四丁目)に遷座された。
 昭和20年8月2日の富山大空襲で、御堂は全焼。翌年、仮御堂を建立したが、昭和25年秋、巨大台風により仮御堂が傾き、釈迦如来と大日如来の二如来像のみとなった。昭和33年秋、同じ場所に御堂を新築。昭和47年、冷川工事のため敷地内を移動。昭和42年、明治の初め頃に造られた地蔵菩薩が地元の人から寄進され、以後、二如来像と一地蔵菩薩像となった。
 御堂の近くでは、東からの四ツ谷川と南東からの冷川が落ち合って松川となり、支流・助作川を北流させ、さらに南南東から宮田川(佐野川)を取り込み、神通川に沿うように流れる。
 江戸時代には、これらの川は富山城下の外郭防御線として重視された。また、磯部から神通川までは「磯部の浜」とも言われ、船着き場もあった(対岸は有沢)。そのため、磯部の石仏は「浜の地蔵さん」といって親しまれたという。
■資料/案内の張り紙

 


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