穴の谷の霊水(上市町)
洞窟で修行をした女行者が発見した奇跡の水
穴の谷の霊水といえば、県内を代表する霊水だが、これまで詳しい史実や水の科学的分析をまとめて書いたものがなかったことから、今年春、地元の上市町黒川生まれの伊藤勝保さん(89)が、『あなんたん今昔 行者洞窟と湧水』という冊子を刊行された。弊誌では2004年8月号で穴の谷の霊水を一度紹介したことがあるが、今回、この冊子をもとに、より詳しく見ていきたい。
穴の谷の霊水が汲める場所は、黒川集落の山間部にあった中世真言密教の一大霊場跡よりさらに山深く入った所にあり、そこにはどこまで続いているかわからないと言われる洞窟があり、これまでに何人もの行者が訪れて修行したという。1人目は美濃の国(岐阜県)の白心行者で、嘉永元年(1848年)に黒川に住みつき、洞窟で3年3カ月修行した。白心行者は、穴の谷開発の祖として永く村人の崇敬を受けたという。2人目は、石川県羽咋郡志雄町(現・宝達志水町)生まれの荒木悟道行者で、明治30年4月と31年1月、2度の百日の行を行なった。3人目は月岡の女行者(舘さん)で、大正4年5月、百日の行をするために穴の谷に入ったという。4人目は、尾谷其山(俗名は健太郎)氏で、昭和2年4月来村。以後、昭和14年に亡くなるまで修行した。ちなみに尾谷家の先祖は富山藩の重臣で、かつて富山市柳町のほとんどを所有していたという。明治30年、共立富山薬学校を卒業。憂国の士で、頭山満などと親交があったという。5人目は、広島出身の女行者・岡本弘真尼で、昭和32年(1957年)穴の谷に来て、6年修行した。それまでの行者は、教義・宗派が浄土真宗か曹洞宗かはっきりしていたが、弘真尼は何宗派か、何の教義を信じているか村人でも知らなかったという。亡くなる時に、生前親交のあった上市町の塩原伸晃氏に、遺言として、「穴の谷のご霊水は八功徳水となり、阿弥陀如来の水だぞ、唯、一心に信を以っていただけば万病が治るぞ。病に苦しんでいる人に一人でも多く伝えてほしい。南無阿弥陀仏」と言い残した。そこで、塩原氏は弘真尼の死後、ゆかりの人達に呼びかけて弘真会という団体を結成した。現在、一般社団法人として霊場と名水の管理運営を行なっている。
なお、冊子では穴の谷の霊水はどんな水か、上市中学校科学部や富山県衛生研究所の研究のほか、浅井一彦博士と浜田亨先生の研究について触れられている。奇跡の水と言われるもとは、ゲルマニウムを含有しているためだという。
『あなんたん今昔 行者洞窟と湧水』
(伊藤勝保著) 非売品