太閤山、日宮城跡(射水市)

秀吉が陣を張った場所&上杉勢の最前線

 1585(天正13)年8月、豊臣秀吉が富山城の佐々成政を攻めた時、今の射水市太閤山付近(射水市文化・スポーツ課によれば、パチンコ屋「LUCKY」の看板のある一帯で、当時は丘だったという)に金瓢馬表(千成瓢箪)を立て、陣を構えたと伝えられる。たしかに、ここに立つと呉羽丘陵までが一望でき、見晴らしが良い。太閤山の地名はこの伝承に由来する。
 また、近くの日宮城跡にも陣を置いたとされる。日宮城は、富山城を築城した神保長職が在城したこともある城で、現在の日宮社北東側に本丸があったとされるが、私有地も含まれ、立ち入りが制限されている。
 1572(元亀3)年5月24日、長職の力が弱まり上杉氏の家臣となっていた神保覚広が守将を務める日宮城は、武田信玄の調略に応じた加賀越中の一向一揆勢から猛攻を受けた。覚広は新庄城主に援軍を要請するが、援軍が一揆勢の迎撃・追撃を受け惨敗した為、6月15日に和議を結び開城した。この時、勢いに乗った一揆勢は白鳥城、富山城をも陥落させている。その後、信玄が亡くなると、謙信が奪還している。
 日宮城跡近くの旧北陸道沿いには、秀吉が味方の士気を高めるために将兵に相撲を取らせたといういわれから、太閤山相撲場が作られている。

参考/富山県歴史の道調査報告書 ―北陸街道―(富山県教育委員会・1980年)、Wikipedia他


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