松川の浄化用水導入施設を見学
「魚も住めぬ川」と言われた松川
昭和30年代頃までは、松川は、神通川の水が流れ込み、子どもたちの水遊びが盛んな清流でした。〝黒ゴイ〟の名所だったと言われ、ウグイやフナ、ウナギやアユも泳いでいました。
しかし、急速な都市化に伴って家庭排水などが流入し始めると、上流の農業用水からの水量が少ないこともあり、汚濁の一途を辿りました。
松川は、ゴミやヘドロでいっぱいとなり、川底からはメタンガスも湧き出て、市などに住民から苦情が殺到しました。
昭和43年7月から44年6月までの汚濁調査で、いたち川、松川、赤江川が、「魚も生息しない川と化している」ことがわかりました。
鯉の放流や浚渫ゴミさらえをしたものの…
昭和44年頃から、「神通川をきれいにする協議会」が、「昔のような清流を取り戻そう」と、毎年鯉の稚魚を放流したり、環境浄化のキャンペーンを始め、生命力の強い鯉が泳ぎ回るようになりましたが、水質はなかなか改善しませんでした。
富山市と県河川課では、松川の浚渫やゴミさらえを繰り返しましたが、絶対水量が少なすぎることから、国土交通省(旧・建設省)に導水による松川の浄化を要望しました。
国土交通省ではこれを受けて検討した結果、土川から取水することにし、昭和57年から工事を始め、昭和59年11月12日、「松川浄化用水導入施設」が完成しました。
ゴム製の起伏型可動堰で松川に毎秒2トンの水を導入
幅約16mの土川にゴム製の起伏型可動堰(ラバーダム)を作り、その手前の堤防に、土川から松川上流の佐野川へ水を引くための水門を建設。
ラバーダムは、平常時には空気を入れ膨張させて川をせきとめ、堰より水位が30㎝程高くなると、水害を防ぐため自動で堰の空気が抜ける仕組み。
この形式の堰は、北陸地方整備局(旧・北陸地方建設局)で初めて施工され、当時としては最新式のものでした。
こうして、毎秒2トンの取水により、松川全川でコイ、フナが泳ぎ回れるような目標水質(BOD 3PPM以下)を達成することに成功しました。
遊覧船の運行も可能な水量の豊富な松川に
実際の導水は、昭和60年4月5日に始まり、松川は水量が豊富な川となり、昭和62年8月には遊覧船の運行も始まりました。
街の中の川で舟遊びができるようになり、全国から観光客を集めるようになったのです。
▲本格運航は、昭和63年(1988年)4月1日でした。
▲現在の松川遊覧船
協力/国土交通省 北陸地方整備局 富山河川国道事務所