神通川直線化120周年・『川と街づくり国際フォーラム』開催20周年記念 サンアントニオ・リバーウォーク 川の街 誕生物語 PART3 リバーウォーク チャンス到来

 

 2003年9月、神通川直線化100周年を記念し『川と街づくり国際フォーラム』を富山市国際会議場で開催してから、今年で20年。
 今月号では、このフォーラムでの米・サンアントニオ公園管理者、リチャード・ハード氏の講演から、1968年の万博開催を機に脚光を浴び始めたリバーウォークについて解説する。

 

万博がリバーウォークの魅力を引き出す

’68万国博覧会ヘミスフェアを開催

 商業的に栄えたリバーウォーク実現のため、ビジネスリーダーたちは市と商工会議所に働き掛け、開発計画への融資をとりつけました。外部の専門家によるディズニーランド構想は退けられ、全米建築学会サンアントニオ支部が基本計画の立案を任せられ、地元の状況にマッチした計画が作られました。
 例えば、騒音については3つのレベルの地区が設定されました。また観光客誘致のため、毎月フェスティバルを行うことが提案されました。そして「リバーウォーク委員会」が設立され、川の個性を守るべく、地区ごとの規制を行なうようになったのです。また1964年には、地主と事業主によって設立された「パセオ・デル・リオ協会」が、川の魅力向上をはかる取り組みに努めました。
 そんな中、これまでの地道な努力が実る大きなチャンスがやって来ました。「’68万国博覧会ヘミスフェア」の開催です。その準備には、リバーウォークの大整備も含まれていました。
 「’68万国博覧会ヘミスフェア」の会場やホールの建設により、大きなコンベンション産業への基礎が築かれ、今日、市では年間300の会議が開催され、50万人以上の代表者達がやってきます。

 

万博を機に施設や環境を充実

 このフェアのために建設された一番のシンボルは「タワー・ オブ・アメリカ」で、高さは230m。最上階には、サンアントニオ市内を360度見渡すことのできる回転レストランがあります。
 この際にコンベンションセンターも建設され、2002年には修理拡張工事を実施。センターへの水路を延長して周囲に植栽を植え、川の中に島を作ることによって、より自然な景観を創り出しています。このコンベンションセンター拡張プロジェクトには、経費約218億円、工期6年がかけられ、既存の展示スペースや会議室の改装、拡張などが行なわれました。これにより、総床面積は2倍以上の約40万平方メートルになり、その中には67通りに分割できる会議スペースを設けるなど、多様な目的に対応できる設備を整えました。
 さらに、舞台芸術のための劇場「リラ・コクレル・シアター」(座席数2、500席)も併設。遊覧船で行き来できる、ユニークな仕掛けになっています。
 また、同時期には湾曲部に延長して新しいコンクリートの川が作られ、遊覧船で新しい展示ホールまで行けるようになりました。新しい川が完成した当時は、石やコンクリートが目立って殺風景だと苦情が出ましたが、今日では植栽が美しく成長したことにより、目立たなくなっています。

 

▼川の両側には土手を削り、リバーウォークが作られ、自然な景観を創造した。

 

ホテルの建設ラッシュが始まる

 ヘミスフェアの開催により、20年ぶりに新しいホテルも建てられました。地中海様式建築の「ラ・マンション・デル・リオ・ホテル」や、リバーウォークに面した「ヒルトン・ホテル」などです。
 これらのホテルは、博覧会のオープニングに間に合わせるためにプレハブ様式が採用され、記録的な速さで完成しました。コンクリートの部屋は他の場所でつくられ、各箇所にクレーンで運び上げられました。部屋にはベッド、化粧台、ランプがすでに置かれ、配管と電気の工事を完了させれば完成です。この二つの新しいホテルが湾曲部の両端にできたことで、歩行者が絶え間なく行き来するようになりました。また、建物の所有者は、川のレベルの地下に穴をあけ、レストランへの入口を川の方へ向けて作り始めました。

 

▼リバーウォークの最大の魅力は、街の中心にありながら階段やスロープなどで地下にある川の世界に降りると、非日常の別世界が開けていることだ。

 

人気が高まるリバーウォーク

 ヘミスフェアは万国博覧会としてはまずまずの成功でしたが、リバーウォークは大ヒットとなり、その後数十年にわたる開発のきっかけになりました。当時の来訪者アンケートでも、リバーウォークが人気の的の一つであった事がわかります。
 この人気に乗じて、市は川を地域や全国に宣伝し始めました。そしてコンベンションビューローが市につくられ、新しいコンベンションセンターへの誘致をはじめました。
 1970年代には、市やリバーウォークへの来訪者が増えはじめ、ヘミスフェアの際に作られた二つのホテルは、非常に高い稼動率をあげました。これにより、さらにホテルの建設が進み、1978年、「マリオット」がコンベンションセンターの近くに建設されました。

 

▼’68万国博覧会の開催に合わせ、建設された「ヒルトンホテル」。左側には、コンベンションセンターに行くための水路が新しく作られた。

 そしてこのプロジェクトをさらに促進させるため、ホテルはその後、リース料の安い市の所有地に建てることとなりました。1981年には、新しい「ハイアット・リージェンシー・ホテル」が第3セクター開発プロジェクトの一環として建設されたのです。
 ホテル建設のさらなる促進のため、市は12億円の連邦政府補助金を得て、道路レベルから5メートル低い川のレベルに、アトリウムと水路を建設。その結果、観光客は「パセオ・デル・アラモ」を通って、有名なアラモ砦にも行けるようになりました。

 

商業空間としても賑わうリバーウォーク

 ベンチャービジネスを展開する企業も、リバーウォークでの営業を優先するようになりました。そのため、地元民の客足が戻るよう、企画委員会が市の中心部にショッピングモールの建設を提案した際も、リバーウォークでの建設が推進されたのです。
 リバーウォークでのショッピングモール建設には、ヘミスフェアの際に作られた延長部を越えて、新しい水路の建設が必要となりました。市は20億円の公的資金で新たに人工水路と橋を建設し、民間セクターが「リバーセンターモール」と、1、000室を有する「マリオット・リバーセンター・ホテル」を建設しました。さらに、その周囲も民間のセクターによって開発が進められ、1、000室もある非常に大きなホテルが建てられています。

 

▼道路を掘り下げて新しい空間を創り出した、プレシディオエリア。

 また、「リバーセンター」にはデパートを中心に100以上の専門店やアイマックスの映画館などが集まり、非常に成功を収め、リバーウォークの新たな魅力となっています。また、リバーセンター前に作られた島はイベント時のステージとしても使用され、定期的にコンサートが行なわれています。さらに、リバーパレードが行われる際には、絶好の見物席としても使われています。
 プレシディオエリアの開発は、1993年に始まりました。他のエリアに続き、こちらも道路をリバーウォークの位置まで5メートル掘り下げることによって、レストランや店舗を置くことが可能になり、リバーウォークと賑わいが一体となった自然あふれる空間が創り上げられました。 

 

▼リバーウォークに建設されたショッピングモール「リバーセンター」には、デパートを中心に100以上の専門店、映画館、ホテルなどが集まっている。これらが新たな魅力になっており、島も作られている。
   

 


アメリカ・テキサス州 サンアントニオ市
公園管理者 リチャード・ハード氏

テキサス大学で植物学学士号取得。テキサスA&M大学で鑑賞園芸学修士号取得。1981年以降、サン・アントニオ市公園・遊園課に勤務。’81年から’98まで、サン・アントニオリバーウォーク、市洪水対策の管理責任をとる河川管理監督官であった。’03年当時、リバーウォーク、植物園などを含む公園全体の維持管理責任をとる公園管理者。

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