太田口通り(富山市)

旧飛騨街道への起点

 

 TOYAMAキラリの右側から電車通りに向かって斜めに伸びる『太田口通り』。この通りは、江戸時代に富山藩領が町割された当初から要の町であり、飛騨街道への起点であったという。
 富山城下町の南には広大な農村や山村が広がり太田保・太田庄と呼ばれ、太田地方と富山城下町の境目が太田口で「足洗川」が流れていた。人々はその小川で足を洗ってから城下へ入ったという。現在は大部分が暗渠となっているが、麄香神社・日枝神社の東端にその一部が偲ばれる。
 岩瀬浜で捕れた寒ブリが太田口通りから出発して、飛騨街道を進み高山から松本へと運搬され、信州のお正月祝膳に供えられた。このルートは、『ブリ街道』と呼ばれて、越中と飛騨を結ぶ重要な幹線道路であった。
 なお、近くの星井町公園は、北陸電力の発祥の地で1897(明治30年)に、富山電灯として設立された跡地であるという。
■参考文献/案内看板

■関連 『富山城下への境目 足洗川があった場所』(2018年12月号)


▲「TOYAMAキラリ」方向を見る


▲キラリの横にある「旧飛騨街道起点」の標識


▲案内板の地図。足洗川が点線で描かれている。


▲星井町公園

 

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