・ グッドラックとやま 2024街づくりキャンペーン ・元富山県知事・中沖豊氏 七回忌記念 「富山の魅力アップは、夢の“神通回廊”の創造で!」

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富山の魅力アップは、夢の“神通回廊”の創造で!
 平成9(1997)年9月号「月刊グッドラックとやま」創刊20周年記念号より再編集

 

 念願だった北陸新幹線の開業を見届け、2018年6月に90歳で逝去した元富山県知事・中沖豊氏。潤いある県づくりの重要な要素として、「水辺」を活かした街づくりを推進され、弊誌が提案した「松川遊覧船」にも多大なご尽力をいただきました。本年、中沖氏の七回忌を迎えるにあたり、弊誌の創刊20周年号記念インタビューを掲載し、その功績と遺徳を偲びます。

◇インタビュアー/中村 孝一 (月刊グッドラックとやま発行人)

 

住みよい県から住みたい県へ

中村 『グッドラック』は〝読者に幸運(GOOD LUCK)をもたらす雑誌をつくろう〟と、1977年(昭和52年)11月23日に創刊したのですが、今後も富山の活性化のために何ができるか問い続けていきたいと思っています。
 さて、知事は日頃から明確なビジョンを持って着実、堅実に実行していくことの大切さを説いていらっしゃいますね。

中沖 私は、現代は海図なくして荒波を航海するような「大変動の時代」だと思っています。このような時代こそ、常に未来への夢やビジョン、理想と言ったものを持ち、これを計画的に着実に実行していくことが、極めて大切だと思います。

中村 私も『グッドラック』創刊号の表紙に、船出する帆船を取り上げ、ケネディ大統領の「水平線の彼方には、嵐があることを知っている…しかし、われわれは恐れをあとに希望を持ってカジをとってゆく」との言葉を掲げ、前途の不安を取り払ったものです。

中沖 具体的な施策としては、第一に活力ある富山県づくりを進めていきたいと思っています。

中村 弊誌では富山の良さを全国に知らせるため、全国のタウン誌を招待し、富山を紹介してもらう「水の都とやま取材の旅」を始め、「全国タウン誌展」などイメージアップ事業を展開しています。

中沖 いい事業ですね。私は、「住みよい県づくり」までは行政ができても、それを「住みたい県」にまで高めるには、県民一人ひとりの果たす役割が大きいと思っています。その意味では、県民一人ひとりが、ふるさとに“誇りと自信”を持つことが大切ですし、県外の人たちに対して、素直に自分の郷土の良さを紹介したり、富山県に来る人を温かいホスピタリティで迎えることも、非常に大事です。

 

「水の王国」をテーマに
うるおいある街づくりを

中村 神通川を中心とした「水公園」のプランが進んでいますね。

中沖 「とやま21世紀水公園神通川プラン」と言い、神通川を中心に、広域的な緑のネットワークづくりを進めるため、昭和60年(1985年)3月に策定しました。県としては、21世紀に向けて、富山県の豊かな水と人々のふれあいをテーマに、〝 うるおいある街づくり 〟を進めていきます。

中村 富山の街は、神通川によって誕生したんですもんね。

中沖 そうです。神通川はかつて市の中心を蛇行して流れていましたが、明治の終わりにこれをショートカットし、現在のヒューマンスケールな松川が誕生したんですね。

 

▼富山の春のシンボルとなった、大勢のお花見客で賑わう松川遊覧船。アメリカ・サンアントニオを訪れたことがあるという観光客からは、「サンアントニオにそっくりですね」との声も聞かれた。

中村 なるほど、早くからウォーターフロントの再開発が行われたんですね。

中沖 そうです。富山駅北側では、今「とやま都市MIRAI計画」として、賑わいと品格のある新しい都心づくりを積極的に進めています。先日、富岩運河環水公園が一部オープンしましたが、県都富山市の新都心として、日本でもトップレベルのウォーターフロント地域になると思います。

中村 松川、いたち川、富岩運河を一体化できれば、さらに生きてくるでしょうね。

中沖 現在の松川、いたち川、それに富岩運河の舟だまりは、神通川の名残として誕生したものです。ですから、松川、いたち川、富岩運河を一体化することは、富山の街づくりの歴史をたずねる意味においても大切だと思います。

中村 川の中の遊歩道を繋ぎ、回遊できるようにすれば、神通川から生まれた富山の歴史を、川の中から訪ねることもできます。まさに〝夢の神通回廊〟の誕生ですね。

 

一体化で〝富山らしさ〟を全面に

中沖 〝夢の神通回廊〟とは素晴らしいネーミングですね。神通川本流のあった跡を一体化し、一連のものとして整備することで、「水の都」富山の特色を生かした〝富山らしい〟街づくりが可能になると考えています。

中村 昭和62年(1987年)に松川遊覧船をオープンする時、富山城から富山港への舟運を復活させ、「“東洋のベニス”を目指そう!」、というのがキャッチフレーズだったんですよ。

中沖 はい、松川には『グッドラック』さんのご尽力により、すでに遊覧船「滝廉太郎Ⅱ世号」が就航していますので、例えばこの「滝廉太郎Ⅱ世号」で、いたち川を通って富岩運河へ乗り入れることができれば、富山城から富山港への舟運復活も夢ではありませんね。

中村 実現できると素晴らしいですね。ところで、知事は以前、リバーフロントで有名なサンアントニオを視察されたそうですね。

 

アメリカ・サンアントニオを
リバーフロントのお手本に

中沖 平成元年(1989年)に県の青年の翼の名誉団長として、アメリカ・テキサス州、サンアントニオ市を視察しました。
 サンアントニオ市は、川をうまく活用したウォーターフロント開発の成功例として世界的に有名ですが、街の中心部にはリバーウォーク(水辺の散歩道)が巡っており、川辺にはレストラン、ホテル、コンベンションセンターが集まり、賑わっていました。また、遊覧船からも周囲の美しい街並みを楽しむことができました。川に面した劇場や、周囲の雰囲気にあった庭園、橋や照明などを効果的に使うなど、観光客をより楽しませるための多くの工夫が凝らされ、木の手入れや水質の保全などの管理も行き届き、心地よい環境が保たれていました。

中村 実は、私も前から知事さんに見てくるように言われていましたので、5月にようやく行ってきました。車が進入できない川の中の町は、まるでベニスのようで、何者にも煩わされない囲まれた空間が独特の雰囲気を作り出していました。その秘密は、周囲の道路面から平均4・5メートル低いことにあると気づきました。まるで小さな峡谷のようなこの川の中の街は、世界中から年間1400万人もの観光客を引きつけるようになり、全米ナンバーワンのモデル都市に輝いたということです。

中沖 そうですか、今も変わらないのですね。1920年代、市の中心部を蛇行して流れるサンアントニオ川は、数年に一度大洪水を起こしていましたが、川を付け替えることによってまず安全を確保し、安全になった水辺空間を観光資源として活用するため、公園や遊歩道を整備したと聞いています。これはまさに「災いを転じて福となす」という逆転の発想で、暴れ川の水を治め、農業や産業にうまく利用することによって、住みよい県として発展してきた富山県とよく似ていると思います。

 

▼自然と商業的な賑わいをミックスさせ、魅力的な空間を創り出したアメリカ・サンアントニオのリバーウォーク。

中村 1985年にサンアントニオ市から姉妹都市の申込みを受けた理由が、そこにあったんですね。松川とサンアントニオ川を比較して感じたのですが、松川も川底をあと2メートル下げ、安全を確保すれば、他から隔絶した別世界を作れると思いました。
 また、いたち川の増水に備えて合流点に水門を作れば、松川の水位も安定化でき、サンアントニオのように川沿いにレストランやお店が出店でき、「美しい自然と商業的活気」のある、魅力あふれる空間を作れると思います。

中沖 それは素晴らしいアイデアですね。

中村 サンアントニオ川は、川幅が松川とちょうど同じくらいで、ヒューマンスケールなのがいいですね。「サンアントニオ水都物語」の著者、バーノン・G・ズンカー先生にインタビューした時、松川の絵葉書をお見せしたんですが、あまりに似ているのを見て、川同士でも姉妹提携をされたらどうですか、と提案されたんですよ。先生のせっかくの好意を無にしてはいけないと、とりあえず遊覧船会社同士で姉妹提携したんですよ。

 

快適で美しい環境づくりを

中沖 それはよかったですね。「川の王国」富山県のウォーターフロントを考える上で、サンアントニオ市に学ぶことが多いですね。特にこれからの時代には、人々の生活に〝うるおいとやすらぎ〟を与えてくれる、快適で美しい環境づくりが大変重要だと思います。松川、いたち川、富岩運河を通した水と緑のネットワークづくりには、景観への配慮はもちろんのこと、遊び、飲食、音楽などの要素も取り入れながら、楽しくなるようにしたいと思います。

中村 最後に、知事から弊誌に一言お願いします。

中沖 「知ることは愛することであり、愛することは知ることである」と申します。郷土について知り、郷土を愛することこそが地域の発展につながると思います。『グッドラック』さんにはこれまで富山県の施策に大変協力いただいていますが、今後も一層のご尽力をお願いします。貴誌の益々のご発展をお祈りしております。 

 


中沖豊氏を偲んで

広い視野で富山県の発展に尽力された中沖豊さん。その人柄や仕事ぶりについて、当時、県職員として身近で従事されたお二人に話を伺った。

 

優れた洞察力で富山を牽引


元富山県出納長
澤合俊博 さん

 中沖さんが国から総務部長として来られた当時は人事課におり、話をする機会が多くありました。その頃は、この後で知事になられる方とは夢にも思っておらず、何でも言いたいことを言っていましたね(笑)。この時のご縁もあり、中沖さんのもとで秘書課長を7年させていただきました。
 知事を交えた座談会を開く際は、それぞれの人となりはもちろん、思想などを事前にしっかり調べることを徹底され、大変難しい方でもありましたが、常に遠くまで先を見据えておられました。
 2003年、『グッドラック』さんが国や中沖知事の支援を受け、「川と街づくり国際フォーラム」を開催され、“夢の神通回廊”の可能性を引き出されたことは素晴らしいことだったと思います。

 

街づくりで水辺を活かす


元富山県土木部長
埴生雅章 さん

 公園緑地係長をしていた頃、中沖さんの意向で神通川全体を一つのプランとして考える川沿いの計画を見直すことになりました。「水公園プラン」が「富山21世紀水公園神通川プラン」となり、埋め立てることになっていた富岩運河を活かしていこという、まったく逆の流れに変わったのです。
 当時は、水辺に注目が集まり始めた時代で、街づくりに水辺を活かそうという動きが全国的に起こりつつありました。そんな中でも、中沖さんは特に「水」にこだわっておられ、国からも県に専門家が派遣されていました。その波にうまく乗って、民間では『グッドラック』さんが提案された「松川遊覧船」、県では富岩運河環水公園が誕生し、富山を代表する水辺の観光地が生まれたと思っています。

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