全米ナンバーワンの人気都市に街づくりを学ぶ サンアントニオ市と友好提携を!

ケネディ生誕100周年
創刊40周年記念企画
シリーズ 〜グッドラック40年の軌跡〜 ⑫

正橋正一富山市長に聞く

全米ナンバーワンの
人気都市に街づくりを学ぶ

サンアントニオ市と友好提携を!

インタビュアー/中村 孝一 (月刊グッドラックとやま発行人)
(1997年10月号「月刊グッドラックとやま」創刊20周年記念スペシャルインタビューより)

1985年、全米ナンバーワンの人気都市・サンアントニオから姉妹都市の申し込みを受けた富山市。当時、塩谷市長は病気で入院中。助役だった正橋氏が、サンアントニオの国際局長と市長室で会談した。提携申し込みに至った背景は、“川の街”の類似性と“水の都とやま”の今後の果てしない可能性にあった——。

富山でコンベンションを開く必要性=魅力とは?

改井元市長が松川は富山のセーヌ川と讃えたように、パリのノートルダム寺院のような市役所がそびえ立つ。

正橋 グッドラック創刊20周年おめでとうございます。

中村 ありがとうございます。
 さて、富山市は平成6(1994)年、運輸省が認定する「国際会議観光都市」に全国42都市と共に選ばれ、全国的なコンベンション戦国時代に突入したわけですが。

正橋 富山も国際会議が非常に増えていまして、平成6年度に5回だったものが7年度には7回、8年度には15回と伸びています。そのような現状の中で、富山市が国際会議観光都市を目指し、全国からコンベンションを誘致するには、大規模なホテル・宴会場を持ったコンベンション施設をつくる必要があると考えたわけです。ちょうど、富山市の中心地区で交通にも非常に便利な場所にあった公会堂や保健所の老朽化による移転新築を機に、その跡地にホテルと国際会議場を建設しようと、県と経済界のご協力をいただきまして着工したわけです。

中村 確かに全国会議や全国大会といったコンベンション客を多く集めることは、経済的波及効果も大きいですし、これからの街の発展を考える上でも、最も重要な課題だと思います。

正橋 そう思いまして、富山市にも立派な施設が必要であると決断したわけです。

中村 富山市が北陸の拠点都市を目指すことには大賛成です。そのために立派なコンベンションセンターをつくることも大切です。しかし、問題はどうやって全国からコンベンション客を富山へ誘致するか、ということです。というのは、主要都市はもちろん、全国の地方都市が、コンベンションは都市再開発の有効手段であり、経済的波及効果が大きいと、競って立派なコンベンション施設を作り始めているからです。
 このため、地方のコンベンション施設は、ほぼ同レベルとなり、強力な誘致手段とはなり得ません。となると、全国及び世界の都市から富山でコンベンションを開く〈必要性〉=〈魅力〉とは一体何なのか、つきつめていくと、結局都市としての魅力がどれだけあるかが誘致のカギを握っていると言えます。それを一言で言えば、「観光的魅力」といえるかもしれません。

正橋 富山県には立山とか黒部といった素晴らしい観光地もありますし、ホタルイカや蜃気楼、五箇山の合掌づくりという施設や資源もありますから、十分観覧いただくことができると思っています。
 また富山には、300年の伝統を持つ売薬という産業もありますが、最近ではガラス工芸の振興にも力を入れています。観光産業は、これから最も力を入れなければならない課題だと思っております。


独自性を生かし、魅力ある街づくりを

中村 コンベンション最前線を走るアメリカでは、独自の魅力を打ち出した都市が、地方にあっても「コンベンション都市」として成功を収めています。中でも全米ナンバーワンの人気都市となったサンアントニオは、地方都市であっても、独自の地形や歴史を生かせば魅力ある都市をつくれるのだという好例を示しています。
 サンアントニオの資料、特に『夢を現実に』(日本語版『サンアントニオ水都物語』)の著者、バーノン・G・ズンカー氏が書かれた本を読むうちに、どうしても自分の目で確かめたいと、先日サンアントニオへ行って来たんですよ。

正橋 ああ、行ってらしたんですか。これは驚きましたね。

中村 ええ、素晴らしい街でした。サンアントニオのリバー・ウォークは、松川と同じぐらいの川を中心に作られた街ですが、川べりにはホテル、レストラン、カフェテラスが立ち並び、リバー劇場ではショーも行われるなど、アフターコンベンションも充実しています。しかも、68年に開催された万博に会わせ、この川をコンベンションセンターまで延長し、さらにはリバーセンター(富山で例えると大和デパートや総曲輪・中央通りにあたる)まで川を延長し、水辺と緑の遊歩道を歩いていけるよう演出しています。
 86年のコンベンション開催件数は、なんと954件、南部テキサス州の地方都市なのに、人口は20年間に20万人も増え、観光客も年間1400万人。今やアメリカの10大都市の一つにまで成長したサンアントニオ、その飛躍的な発展の鍵は、松川と同じような川の開発だったのですね。

2003年に開催された「川と街づくり国際フォーラム」をきっかけに始まった「リバーフェスタとやま」の賑わい。


松川と城址公園の可能性

正橋 ところで、富山市も変わったと思われませんか?30年前には観光資源はあまりありませんでしたが、現在は民俗民芸村や売薬資料館、そして松川には遊覧船が運航され、〝水の都〟の歴史を感じられますしね。

中村 そうですね。松川遊覧船の駅舎には、松川茶屋や滝廉太郎記念館もでき、市民や観光客に大変喜ばれていますしね。
 富山の場合は中心部を流れる松川と城址公園をいかに生かすかが、都市の未来を決めるといってもいいくらい重要な課題かと思います。この観光的魅力の創造こそ、コンベンション都市の成功に欠かせない重要な課題かと思います。

正橋 なるほど、サンアントニオ市は川の中に素晴らしい街をつくり出したわけですね。
 文化とは、先人がつくったものを継承し、それを発展させて維持していくものです。現代に生きる私たちも努力して、後世に残るようなものをつくっていかねばなりませんね。

中村 「灯台もと暗し」ということわざがありますが、あまりにも身近なところに松川という宝物があったので、気づかなかったのですね。市長さんがおっしゃるように、私たちがこの松川を磨いていけば良いのですね。そうすれば、松川はますます輝きを増して、〝水の都・富山の顔〟になれると思います。

正橋 松川は、おかげさまでだいぶ整備されてきましたね。松川べりには、富山ゆかりの方々による28の彫刻を配していますが、会議などでお見えになった方々も、「非常に素晴らしい川が街の中心部を流れていますね」とおっしゃってくださいます。
 グッドラックさんには、以前から城址公園を日本庭園にしたらとのご提言をいただいていますが、今、県と研究会をつくって、協議を行っております。

 

サンアントニオのリバー劇場。舞台と座席が川によって分離されており、大変ユニークな河川劇場として、市民や旅行客から親しまれている。

松川を生かし魅力あふれる街に

中村 サンアントニオでは市の行政官と、『夢を現実に』の著者の方にお会いしたのですが、大変な努力をなさっていました。そのサンアントニオ川の川べりは、いつもベニスのような賑わいなのです。川幅が松川と同じですし、長さも1・2キロ程です。神通川がよく氾濫したため湾曲地帯を残してバイパスを作り、今の松川が残ったという歴史も同じなのです。

正橋 人工的な川ですか?

中村 いえ、松川と同じ自然の川なのですが、バイパスを作り、水門を上流と下流に作って、増水してもこの湾曲地帯に入らないようにコントロールしているのです。それによって水位も保たれますので、川べりの遊歩道は楽しい憩いのスペースになっています。川を挟んでリバー劇場があり、音楽や踊りに利用され、大変賑わっていました。

正橋 これまた勉強させていただきましたね。以前にサンアントニオ市から姉妹都市の申し込みがあり、向こうの国際局長さんが日本人の通訳を伴ってお見えになりました。病休中の市長さんの代わりに、助役の私が市長室で対応したのですが…。

中村 その経緯について、現地でその通訳の方にお聞きしましたが、富山市を選んだ理由は、まず街のど真ん中に同じような川が流れているという地形の類似点と薬産業だということでした。もう1カ所似ているのが熊本で、富山がダメならばと、熊本へ行かれ、とんとん拍子に話がまとまったということです。 当時人口は90万だったそうですが、現在は105万になり、どんどん増えているんですね。

正橋 100万を超えたんですね【※2015年現在の推定人口は約147万人。(サンアントニオ経済開発財団資料より)】。当時、我々は州の州都と姉妹提携を希望しておりました。

中村 向こうの方に、姉妹提携できず残念だったと伝えましたら、「姉妹が何人いてもいいんじゃない」と言って下さいましてね。まず、川同士でシスターシティとして友好を深めたらいかがですか、とのことでした。

正橋 例えば、姉妹都市でなくてもフレンドシップということで考えられるか、ということですね。

中村 友好都市としての提携はもちろん可能ですね。とにかく向こうさんはすごく乗り気でしたから。ちょうど市民の方も集まってこられ、松川の絵はがきを見て、「こんなに川が似ているんだし、余計に富山市さんと提携したいですよ」と言って下さり、本当に嬉しかったですよ。

正橋 そうですか。サンアントニオ市との親善交流は、これからも機会を見て、お互いに深めていきたいですね。松川周辺や城址公園については、できるだけ早く整備を進めてまいりたいと思います。先般、松川にかかる華明橋を改築し、橋を渡る時にメロディが流れ、また欄干をガラスでデザインするなど、色々工夫を凝らしたところです。

中村 あの華明橋には、市長さんがとても関心を持っておられた、とお聞きしました。

正橋 街の中心部を、これだけの川が流れているという街は、全国的にも珍しいですからね。

中村 そうです。サンアントニオ市からも評価をいただいた松川河畔は、今後の開発によって市民や旅行者が楽しめる、日本のどこにもない街づくりの可能性を秘めていると思います。

正橋 グッドラックさんにはこれまで富山市の施策に大変協力いただいておりますが、これからも一層のご尽力をお願いいたします。貴誌のますますのご発展をお祈りしております。


―コロンブスが幸福であったのは、彼がアメリカを発見した時ではなく発見しつつあった時だ。
なぜなら、幸福とは永遠の探求であって、結果にあるのではない。( ドストエフスキー)

―過去をより遠くまで振り返ることができれば、未来もそれだけ遠くまで見渡せるだろう。
(ウィンストン・チャーチル)

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