安政飛越地震と神通川
今月の「富山の風景」でもご紹介している安政5年(1858)2月26日(現行暦の4月9日)の「安政飛越大地震」については、常願寺川関連の被害ばかりが言われていますが、神通川関連でも舟橋が流出す...
今月の「富山の風景」でもご紹介している安政5年(1858)2月26日(現行暦の4月9日)の「安政飛越大地震」については、常願寺川関連の被害ばかりが言われていますが、神通川関連でも舟橋が流出す...
江戸時代、松川(当時は神通川)といたち川の合流点付近は、『木町の浜』と呼ばれ、下流の東岩瀬(加賀藩領)までの2里(約8キロメートル)は、白帆を張った40石積の舟が絶えず航行しました。(上流は...
1901(明治34)年〜1903(明治36)にかけて行われた神通川の馳越線(はせこしせん)工事。これにより、幅2m、深さ1・5mの細い水路が作られ、その後の洪水により土砂が削られて幅が広...
▲「神通川 船橋の図」松浦守美(1824〜1886) 株式会社 源 所蔵 神通川に最初に船橋が架けられたのは、高瀬保氏の「神通川船橋考」による慶長10(1605)年、あるいは...
“舟橋のある所天下に右三ヶ所なり。 其内、越中を第一とすべし。” 「東遊記」 江戸時代後期の医家(臨床医)で、医書の著述にも富んだ橘南谿(たちばな・なんけい)が、30歳から3...