カテゴリー: とやまの話

泉鏡花『黒百合』に見る神通川の洪水

 金沢市出身で、明治後期から昭和初期にかけて活躍した小説家・泉鏡花は、明治35年、富山を主舞台とする『黒百合』を発表した。廣瀬誠氏によると、この小説は、神通川の洪水を扱ったものだという。その一...

富山町の水車(カッチャ)

 いたち川沿いに水車(富山では、「カッチャ」と呼ばれたそう)があったという話を聞かれたことがある方が多いと思います。  『富山柳町のれきし』という本によると、富山町で水車のことが初めて出てくる...

八幡社(富山市民俗民芸村入口)

義仲四天王の一人、今井四郎兼平が勝利を祈願した場所  信濃に兵をあげた木曽義仲が平氏を追って京都に攻め上がる時、加賀での敗戦で援軍を乞う知らせをうけ、ただちに越後から今井四郎兼平を先発として越...

富山県最初の音楽教師、野中武雄氏

 2014年12月号で、『同時期に富山で音楽を学んだ滝廉太郎と福井直秋(上市町出身・武蔵野音楽大学創設者)』という記事を掲載した。その中で、滝廉太郎が富山の師範学校付属小学校に転入した年(明治...

千歳御殿に因み千歳神社と改称

 富山市千歳町、与茂太郎川そばにある千歳神社。富山の土地神として最も古い神明社とされる。天正9(1581)年、佐々成政が、越中54万石を領して富山城主となった時、この神明社を産土大神として崇め...

富山県教育発祥の地は、いたち川沿い

 いたち川沿いに、「富山県教育発祥の地」の碑がある。場所は、花見橋たもと、大阪屋ショップ北新町店横の遊歩道沿い。富山教育学窓会の有志により建立されたようだ。  明治6年(1873年)10月3日...

古代まで遡る?鱒の鮨献上の歴史

 富山名産、鱒の鮨。そのルーツは鮎の鮨で、鮎の鮨は、富山藩士・吉村新八が創製し、三代富山藩主・前田利興が賞美し、将軍吉宗に献じたところ激賞され、やがて富山藩から徳川幕府への年々の献上物になった...

薬学校の設立

私立から市立へ  『富山大学五十年史』(編集/富山大学年史編纂委員会、平成14年)によると、富山における公的薬学教育のスタートは、明治11年(1878年)に、富山市総曲輪(現在の市民プラザの場...

売薬調剤所の設立

売薬業者が団結  今回も、遠藤和子著『富山のセールスマンシップ 薬売り成功の知恵』(サイマル出版会)をもとに、明治時代の富山売薬についてみていこう。  明治5年(1872年)、現在の富山県と同...

香具師、松井一家

反魂丹宣伝に一役買う  『富山のセールスマンシップ 薬売り成功の知恵』(遠藤和子著)によると、享保18年(1733年)に刊行された『江戸名物鹿子』には、当時江戸でもてはやされていた香具師として...

5代藩主前田利幸〈としゆき〉公と宝暦事件

事件に関わった叔父・利寛〈としひろ〉  2012年12月号で、富山売薬を産業として育てた5代藩主・前田利幸公をご紹介した(リンク)。利幸公は、『富山のセールスマンシップ 薬売り成功の知恵』の中...

薬種屋 松井屋源右衛門

先祖は大伴家持と越中へ  富山売薬の起源についての話で必ず登場する名前が、松井屋源右衛門である。  『富山市史 通史〈上〉』では、富山売薬の起源について諸々あるとし、その一つとして、〝備前国(...