カテゴリー: とやまの話

古代まで遡る?鱒の鮨献上の歴史

 富山名産、鱒の鮨。そのルーツは鮎の鮨で、鮎の鮨は、富山藩士・吉村新八が創製し、三代富山藩主・前田利興が賞美し、将軍吉宗に献じたところ激賞され、やがて富山藩から徳川幕府への年々の献上物になった...

薬学校の設立

私立から市立へ  『富山大学五十年史』(編集/富山大学年史編纂委員会、平成14年)によると、富山における公的薬学教育のスタートは、明治11年(1878年)に、富山市総曲輪(現在の市民プラザの場...

売薬調剤所の設立

売薬業者が団結  今回も、遠藤和子著『富山のセールスマンシップ 薬売り成功の知恵』(サイマル出版会)をもとに、明治時代の富山売薬についてみていこう。  明治5年(1872年)、現在の富山県と同...

香具師、松井一家

反魂丹宣伝に一役買う  『富山のセールスマンシップ 薬売り成功の知恵』(遠藤和子著)によると、享保18年(1733年)に刊行された『江戸名物鹿子』には、当時江戸でもてはやされていた香具師として...

5代藩主前田利幸〈としゆき〉公と宝暦事件

事件に関わった叔父・利寛〈としひろ〉  2012年12月号で、富山売薬を産業として育てた5代藩主・前田利幸公をご紹介した(リンク)。利幸公は、『富山のセールスマンシップ 薬売り成功の知恵』の中...

薬種屋 松井屋源右衛門

先祖は大伴家持と越中へ  富山売薬の起源についての話で必ず登場する名前が、松井屋源右衛門である。  『富山市史 通史〈上〉』では、富山売薬の起源について諸々あるとし、その一つとして、〝備前国(...

安政飛越地震と神通川

 今月の「富山の風景」でもご紹介している安政5年(1858)2月26日(現行暦の4月9日)の「安政飛越大地震」については、常願寺川関連の被害ばかりが言われていますが、神通川関連でも舟橋が流出す...

馳越線工事のきっかけとなった? 富山市議会の治水に関する請願書(明治29年8月11日に提出決定)

 1901(明治34)年〜1903(明治36)にかけて行われた神通川の馳越線(はせこしせん)工事。これにより、幅2m、深さ1・5mの細い水路が作られ、その後の洪水により土砂が削られて幅が広...

舟橋にまつわる話

 江戸時代から明治初期にかけて神通川に架かっていた舟橋(現在、松川に架かる舟橋はその名残)にまつわる話をいくつか紹介しよう。 ▼舟橋の下には、巨大なカレイが生息していて、人が通ると反転して白い...

最初の船橋はどこにあったのか?

▲「神通川 船橋の図」松浦守美(1824〜1886)  株式会社 源 所蔵    神通川に最初に船橋が架けられたのは、高瀬保氏の「神通川船橋考」による慶長10(1605)年、あるいは...

130艘の仮舟橋

 今年5月号の『富山の風景』で江戸時代初期の神通川下流は、現在より西側を流れ、1659年の大氾濫で東側にも流れができ、二又川となり、1668年の洪水で、東側が本流となったという話をご紹介しまし...

日本一の規模を誇った「越中舟橋」

“舟橋のある所天下に右三ヶ所なり。 其内、越中を第一とすべし。” 「東遊記」     江戸時代後期の医家(臨床医)で、医書の著述にも富んだ橘南谿(たちばな・なんけい)が、30歳から3...