カテゴリー: とやまの話

神通川の渡し場

 神通川の右岸(新川側)と左岸(婦負側)との間には、いくつもの渡し場があったという。『神通川と呉羽丘陵』(桂書房)の中で廣瀬誠氏が『大沢野町誌』を参考にまとめておられる。 ■有沢の渡 富山市布...

飛騨街道と籠の渡し

    東街道、西街道、中街道3つのルートがあった  神通川沿いをさかのぼり、越中富山と飛騨高山を結んだ飛騨街道は、富山湾で獲れた越中ぶりがこの街道を通って高山方面へ大量に...

富山駅ができた経緯を振り返る

 もうすぐ富山駅の南北自由通路を通って、北と南を行き来しやすくなるという大きな節目を迎える。そこで、今回は富山駅ができた経緯を簡単にふりかえってみたい。  明治25年の鉄道敷設法で北陸線が西か...

富山のまちなかの2つの白山神社

 白山神社と言えば、石川県白山市の霊峰白山を御神体とする「白山比咩神社(加賀一ノ宮)」が有名だが、実は、富山市のまちなかにも白山神社がある。郷社 白山神社(富山市中野新町)と村社 白山社(富山...

いたち川の水神社

 「水神様」と言えば、稲田の神様と結びつき、水田のそば、河川や用水路沿いに多く祀られているそうです。  さて、いたち川にも多くの水神社がありますが、ここでは、「月見橋」上流の両岸にある水神様を...

富山城下への境目 足洗川があった場所

   太田口通りの途中、日枝神社の近くに、右足を出したお地蔵さんがいるのをご存知でしょうか。看板を見ると、「足洗地蔵(一休地蔵)」とあります。『太田口通り界隈史話』(廣瀬誠氏)による解説が書か...

泉鏡花『黒百合』に見る神通川の洪水

 金沢市出身で、明治後期から昭和初期にかけて活躍した小説家・泉鏡花は、明治35年、富山を主舞台とする『黒百合』を発表した。廣瀬誠氏によると、この小説は、神通川の洪水を扱ったものだという。その一...

富山町の水車(カッチャ)

 いたち川沿いに水車(富山では、「カッチャ」と呼ばれたそう)があったという話を聞かれたことがある方が多いと思います。  『富山柳町のれきし』という本によると、富山町で水車のことが初めて出てくる...

八幡社(富山市民俗民芸村入口)

義仲四天王の一人、今井四郎兼平が勝利を祈願した場所  信濃に兵をあげた木曽義仲が平氏を追って京都に攻め上がる時、加賀での敗戦で援軍を乞う知らせをうけ、ただちに越後から今井四郎兼平を先発として越...

富山県最初の音楽教師、野中武雄氏

 2014年12月号で、『同時期に富山で音楽を学んだ滝廉太郎と福井直秋(上市町出身・武蔵野音楽大学創設者)』という記事を掲載した。その中で、滝廉太郎が富山の師範学校付属小学校に転入した年(明治...

千歳御殿に因み千歳神社と改称

 富山市千歳町、与茂太郎川そばにある千歳神社。富山の土地神として最も古い神明社とされる。天正9(1581)年、佐々成政が、越中54万石を領して富山城主となった時、この神明社を産土大神として崇め...