カテゴリー: とやまの話

今の橋は3代目 富山大橋の変遷

 今回は、日々多くの人々が利用している富山大橋の歴史について、橋のたもとにある案内板をもとに見ていきたい。  現在の富山大橋は3代目で、初代の富山大橋は明治42(1909)年、神通川西岸に移駐...

木町の浜の万霊塔と観音堂

 松川に架かる桜橋のたもとに、「木町の浜と万霊塔」と書かれた案内板があります。今の松川は神通川の古い河道の名残りで、かつての神通川といたち川が合流する一帯は「木町の浜」と呼ばれていました。神通...

牛島閘門

いたち川と富岩運河をつなぐ  5月号の「読者からのおたより」に〝環水公園の牛島閘門を船が通れるなら、松川〜環水公園〜岩瀬の区間で「富山市内どんぶらこツアー」ができると面白いですね〟という投稿を...

舟橋の橋台

明治15年、船橋から神通橋に架け替えられた時に富山城二の丸の石垣を転用  松川に架かる舟橋の橋台は、石垣になっています。昭和62年に舟橋が改修された際、橋台部から大量の石垣石材が見つかり、調査...

佐々成政剃髪阯

豊臣秀吉に破れ、 服従の意志を示した場所   呉羽山にある富山市民俗民芸村の考古資料館の向かいに、佐々成政剃髪阯という石碑がひっそりと立っている。  案内板によると、天正13年(1585年)、...

馬場記念公園

旧制富山高等学校跡、小泉八雲図書館(ヘルン文庫)跡  今年5月号のこのコーナーでは、『旧制富山高校(富山大学の前身)創設に力を尽くした 馬場はる旧制富山高校(富山大学の前身)創設に力を尽くした...

十三石橋

JR高山線 越中八尾駅からの観光客が大勢利用する  十三石橋北側橋詰は、JR高山線の越中八尾駅から歩いて来た観光客がひと息つくスポット。例年、おわら風の盆の時期に大勢の観光客が利用する(今年は...

八尾和紙と野積川

 養蚕の町、和紙の町として栄えた「八尾」。『神通川と呉羽丘陵』(廣瀬誠著、桂書房)によると、越中和紙は正倉院文書にも「越中国 紙四百枚」と記され、古い伝統を持っている。越中和紙の三大産地は五箇...

旧富山市立図書館跡付近にある3つの胸像

松川沿いの旧富山市立図書館跡附近には、翁久允(おきな・きゅういん)、高見之通(たかみ・ゆきみち)、石坂豊一(いしざか・とよかず)の各氏の胸像がある。 それぞれの方の経歴を簡単に見てみよう。 【...

神通川の渡し場

 神通川の右岸(新川側)と左岸(婦負側)との間には、いくつもの渡し場があったという。『神通川と呉羽丘陵』(桂書房)の中で廣瀬誠氏が『大沢野町誌』を参考にまとめておられる。 ■有沢の渡 富山市布...