今の橋は3代目 富山大橋の変遷
今回は、日々多くの人々が利用している富山大橋の歴史について、橋のたもとにある案内板をもとに見ていきたい。 現在の富山大橋は3代目で、初代の富山大橋は明治42(1909)年、神通川西岸に移駐...
今回は、日々多くの人々が利用している富山大橋の歴史について、橋のたもとにある案内板をもとに見ていきたい。 現在の富山大橋は3代目で、初代の富山大橋は明治42(1909)年、神通川西岸に移駐...
2014年9月号の「富山の風景」コーナーで円隆寺の「さんさい踊り」を取り上げた時、富山藩では盆踊りが禁止され、「さんさい踊り」は子どもの盆踊りのために唯一許されたとご紹介した。今回は、もう少...
松川に架かる桜橋のたもとに、「木町の浜と万霊塔」と書かれた案内板があります。今の松川は神通川の古い河道の名残りで、かつての神通川といたち川が合流する一帯は「木町の浜」と呼ばれていました。神通...
▲馬場記念公園入口 ▲馬場はる刀自*の胸像 路面電車南北接続が完成し、富山市中心部から馬場記念公園(蓮町駅すぐそば)へ一本で行けるようになった。「馬場」という名前は、大正時代に地元の素封家(...
松川沿いの旧富山市立図書館跡附近には、翁久允(おきな・きゅういん)、高見之通(たかみ・ゆきみち)、石坂豊一(いしざか・とよかず)の各氏の胸像がある。 それぞれの方の経歴を簡単に見てみよう。 【...
明治16年5月に誕生したばかりの富山県の書記官(今の副知事に相当)となり明治19年8月から富山城跡の旧本丸御殿を利用した県庁に赴任してきた父にともなって、富山県尋常師範学校付属小学校1年の途中...
特別編「船橋向かい物語」から2編 富山城はなぜ、「浮城」と呼ばれたか? 富山城が「浮城」と呼ばれた、という話は聞いたことがあると思う。 そばを神通川が流れていたからだろうと漠然と感じるが、『...
2012年12月号で、「富山売薬の礎を築いた5代藩主前田利幸公」、2013年2月号で、「5代藩主前田利幸公と宝暦事件」について紹介した。簡単に言うと、利幸の治世期、富山藩230年間の中で最も...