「荒城の月」の歌詞にある”植うる剣”とは?
明治16年5月に誕生したばかりの富山県の書記官(今の副知事に相当)となり明治19年8月から富山城跡の旧本丸御殿を利用した県庁に赴任してきた父にともなって、富山県尋常師範学校付属小学校1年の途...
明治16年5月に誕生したばかりの富山県の書記官(今の副知事に相当)となり明治19年8月から富山城跡の旧本丸御殿を利用した県庁に赴任してきた父にともなって、富山県尋常師範学校付属小学校1年の途...
特別編「船橋向かい物語」から2編 富山城はなぜ、「浮城」と呼ばれたか? 富山城が「浮城」と呼ばれた、という話は聞いたことがあると思う。 そばを神通川が流れていたからだろうと漠然と感じるが、『...
2012年12月号で、「富山売薬の礎を築いた5代藩主前田利幸公」、2013年2月号で、「5代藩主前田利幸公と宝暦事件」について紹介した。簡単に言うと、利幸の治世期、富山藩230年間の中で最も...
もうすぐ富山駅の南北自由通路を通って、北と南を行き来しやすくなるという大きな節目を迎える。そこで、今回は富山駅ができた経緯を簡単にふりかえってみたい。 明治25年の鉄道敷設法で北陸線が西か...
白山神社と言えば、石川県白山市の霊峰白山を御神体とする「白山比咩神社(加賀一ノ宮)」が有名だが、実は、富山市のまちなかにも白山神社がある。郷社 白山神社(富山市中野新町)と村社 白山社(富山...
太田口通りの途中、日枝神社の近くに、右足を出したお地蔵さんがいるのをご存知でしょうか。看板を見ると、「足洗地蔵(一休地蔵)」とあります。『太田口通り界隈史話』(廣瀬誠氏)による解説が書か...
金沢市出身で、明治後期から昭和初期にかけて活躍した小説家・泉鏡花は、明治35年、富山を主舞台とする『黒百合』を発表した。廣瀬誠氏によると、この小説は、神通川の洪水を扱ったものだという。その一...
いたち川沿いに水車(富山では、「カッチャ」と呼ばれたそう)があったという話を聞かれたことがある方が多いと思います。 『富山柳町のれきし』という本によると、富山町で水車のことが初めて出てくる...
義仲四天王の一人、今井四郎兼平が勝利を祈願した場所 信濃に兵をあげた木曽義仲が平氏を追って京都に攻め上がる時、加賀での敗戦で援軍を乞う知らせをうけ、ただちに越後から今井四郎兼平を先発として越...
松川とその下流のいたち川は、旧神通川の名残りの川ということをお聞きになった方は多いと思います。ところが、現在の松川とその下流のいたち川には、神通川の水は流れていません。常願寺川からの水が流れ...
2014年12月号で、『同時期に富山で音楽を学んだ滝廉太郎と福井直秋(上市町出身・武蔵野音楽大学創設者)』という記事を掲載した。その中で、滝廉太郎が富山の師範学校付属小学校に転入した年(明治...
富山市千歳町、与茂太郎川そばにある千歳神社。富山の土地神として最も古い神明社とされる。天正9(1581)年、佐々成政が、越中54万石を領して富山城主となった時、この神明社を産土大神として崇め...