西大森、西番、大場の大転石(立山町、富山市)
安政5年の大地震の後、鉄砲水で流される 常願寺川扇状地には、直径約4m〜7m、重量約100t〜600tの巨石が40数個分布しているといいます。これらの巨石は、安政5年2月26日(1858年4...
安政5年の大地震の後、鉄砲水で流される 常願寺川扇状地には、直径約4m〜7m、重量約100t〜600tの巨石が40数個分布しているといいます。これらの巨石は、安政5年2月26日(1858年4...
広田用水にまつわる様々な碑 国道41号線「荒川東部」交差点から問屋町へ向かう陸橋の左下にたくさんの石碑があるのが気になっていて、今回初めて訪れてみました。 広田用水を記念した...
上杉軍悲劇の籠城戦の舞台 魚津城と天神山城は、2009年の大河ドラマ「天地人」に登場し話題となった。 天正10(1582)年3月、柴田勝家、前田利家、佐々成政ら織田方の大軍が...
牛ヶ首用水工事の守り神として創建 今年(2011年)3月26日に、富山市の環状道路・草島西線の田尻―山岸間が開通したが、これにより、これまでは場所がわかりにくかった「牛ヶ首神社...
富山県の代表的な椎の老木 ▲舟つなぎの椎の木。かつては、もっとこんもりとしていたそう。現在、富山市が年に1回程手入れをしているそう。忠魂碑が隣にあった頃は訪れる人も多かったそうだが、近年は大木...
立山連峰を望みながら走れる、名所が続くドライブコース 富山県内で、俗に「スーパー農道」と呼ばれている広域農道は、もともと農林水産省所管の広域営農団地農道整備事業により作られた道...
富山城下と城下外、富山藩と加賀藩の境目 安政4(1857)年4月、当時富山藩の藩政を握っていた江戸詰家老・富田兵部(とみた・ひょうぶ)に突然帰国が命じられ、帰途の途中の駕篭の中...
S59〜H3年度に整備 特に、花見シーズンになると、大勢の人達がシートを広げて、行き交う遊覧船に手を振ったり、楽しそうに時を過ごす、松川の河川内遊歩道。この遊歩道はいつごろ、どんな経緯ででき...
藩政時代の「表の橋」 いたち川に架かる「雪見橋」は、慶安の頃(1648〜1651)に、富山藩初代藩主・前田利次が架け、以後、富山藩費で維持された。北陸道の重要な橋で、「大橋」とも、「表の橋」...
20年かけ完成 江戸時代後期、砺波郡内島村(現・高岡市)の十村(とむら)役(大庄屋に相当する役職)であった五十嵐孫作・篤好(あつよし)父子は、時の加賀藩主の開墾奨励により、水に恵まれず、不毛...
六治古(ろくぢこ)伝承の地 辺呂川にまつわる伝承がある。この川の近くに六治古という男が住んでいた。貧しいが老いた母に孝養を尽くしていた。年の暮れ、母に食べさせる為、市に出て生きた鮭を買い、そ...
かつての立山登拝の道をめぐる 江戸時代の立山登山はずっと徒歩で行くのが普通だった。その道は幾筋もあったそうだが、主たるものはいたち川ぞいの道だったという。そこで、今回は、いたち川の取水口まで...
江戸時代初期頃に8年間存在した藩 富山県内で、藩と言えば、富山藩や加賀藩だが、富山市布市一帯に、8年間だけ、1万石の布市藩が存在していたという。これは、慶長5(1600)年の関ヶ原の合戦の時...
木舟城は、1184年、前年に木曾義仲に従って倶利伽羅峠の戦いで活躍した豪族・石黒太郎光弘が築いた城と伝えられる。石黒氏は、戦国時代、砺波郡の有力国人領主に成長。石黒成綱は最初上杉方に従い、謙...
樹齢1200年以上の大けやき 養老元(717)年創建と伝わる浅井神社は、初代社僧が行基とされる。参道の両脇に立ち並ぶ杉並木は、樹齢200〜400年。戦前には富山県指定の天然記念物に名を連ねて...