カテゴリー: 富山の風景

古川(富山市)…かつての神通川河口の名残り

 神通川の河口は、少なくとも江戸時代初期においては、西岩瀬・四方付近を流れていた(それ以前には、打出を流れていたこともあったとか)。  室町時代に成立したとされ、わが国で最も古いといわれる海商...

呉羽の三茶屋(富山市)

▲富山道の稲荷社方面をのぞむ。「この道路行き止まり」の看板があり、稲荷社下で舗道は終わる(現在、かつての峠越えができるように工事が行われている)。     暖かい日は、里山散歩などい...

安住橋(富山市)

昭和8年に竣工したアーチ橋  富山市の中心部を流れる松川にかかる安住橋では、昨年から、市内電車環状線(セントラム)の運行開始にあわせ、補強工事が行われていたが、2月初旬には完了した。  安住橋...

白鳥神社(富山市)

白鳥捕獲伝承地の一つ    西に東に転戦した日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、伊吹山で大氷雨を降らす山神との戦いに破れ、伊勢の能褒野(のぼの)で亡くなった。その霊魂は白鳥となって天...

筏橋碑(富山市)

飛騨街道・熊野川越えのいかだ橋  文政6年(1823年)に石黒信由が製作した「新川郡一町一分分間絵図」によると、江戸時代後期、飛騨街道は下熊野において筏橋により熊野川を渡り、左岸の任海村の堤防...

一里塚の跡(富山市、射水市)

吉作、黒河、三ケに残る街道の面影  富山県歴史の道調査報告書―北陸道―(富山県教育委員会・1980年)によると、近世(1568〜1867)初期に北陸道本道に構築された一里塚は23基あったそうだ...

明神峠越え(富山市)

呉羽山を越える旧北陸道の峠道    呉羽山越えのルートはどのような変遷をたどってきたのでしょうか?  富山市郷土博物館の「博物館だより第五十一号」によると、中世には現在の富山市民俗民...

太閤山、日宮城跡(射水市)

秀吉が陣を張った場所&上杉勢の最前線  1585(天正13)年8月、豊臣秀吉が富山城の佐々成政を攻めた時、今の射水市太閤山付近(射水市文化・スポーツ課によれば、パチンコ屋「LUCKY」の看板の...

松川の起点(富山市)

四ツ谷川と冷川が合流    今年もたくさんの花見客で賑わった松川は、戦国時代から大正時代初期まで、富山市中心部を蛇行して流れていた神通川の忘れがたみで、神通川の水が流れていると思われ...

願海寺城址と七曲がり(富山市)

上杉、織田 覇権争いの舞台    旧8号線で、呉羽から小杉方面に向かう途中に、「願海寺」という三叉路があるのをご存知の方は多いと思う。その近くに、戦国時代、願海寺城というお城があり、...

2代目有沢橋橋台、有沢神明社(富山市)

神通川の歴史を伝える    富山市中心部から高岡方面に有沢橋を渡る時、左前方の堤防上に、1918年(大正7年)に落成した木造橋、2代目有沢橋の橋台を見ることができる。(運転にはご注意...

野仏の里(富山市)

旧飛騨街道東路の面影    富山から飛騨高山に通じる道は、飛騨街道と呼ばれていた。藩政初期は、富山→布市→東笹津→神通川右岸の舟渡、東猪谷等→高山(東路)と、五福→城生→神通川左岸の...