布市藩陣屋跡推定地(富山市)
江戸時代初期頃に8年間存在した藩 富山県内で、藩と言えば、富山藩や加賀藩だが、富山市布市一帯に、8年間だけ、1万石の布市藩が存在していたという。これは、慶長5(1600)年の関ヶ原の合戦の時...
江戸時代初期頃に8年間存在した藩 富山県内で、藩と言えば、富山藩や加賀藩だが、富山市布市一帯に、8年間だけ、1万石の布市藩が存在していたという。これは、慶長5(1600)年の関ヶ原の合戦の時...
木舟城は、1184年、前年に木曾義仲に従って倶利伽羅峠の戦いで活躍した豪族・石黒太郎光弘が築いた城と伝えられる。石黒氏は、戦国時代、砺波郡の有力国人領主に成長。石黒成綱は最初上杉方に従い、謙...
樹齢1200年以上の大けやき 養老元(717)年創建と伝わる浅井神社は、初代社僧が行基とされる。参道の両脇に立ち並ぶ杉並木は、樹齢200〜400年。戦前には富山県指定の天然記念物に名を連ねて...
魚の行商禁止に死をもって抗議 富山藩領四浦(西岩瀬・四方・打出・練合)の一つ四方港は、寛文12年(一六七二)、富山藩大坂廻米の積出港となったことから始まったが、後には漁港として繁栄していった...
神通川の河口は、少なくとも江戸時代初期においては、西岩瀬・四方付近を流れていた(それ以前には、打出を流れていたこともあったとか)。 室町時代に成立したとされ、わが国で最も古いといわれる海商...
▲富山道の稲荷社方面をのぞむ。「この道路行き止まり」の看板があり、稲荷社下で舗道は終わる(現在、かつての峠越えができるように工事が行われている)。 暖かい日は、里山散歩などい...
神保×椎名、織田×上杉の戦いの舞台 1520年頃まで、神保氏は神通川の西側を統治していたが、神保長職が1543年に神通川を越えて椎名氏の領地に富山城を築いたため、両者の抗争が本格化したという...
吉作、黒河、三ケに残る街道の面影 富山県歴史の道調査報告書―北陸道―(富山県教育委員会・1980年)によると、近世(1568〜1867)初期に北陸道本道に構築された一里塚は23基あったそうだ...
呉羽山を越える旧北陸道の峠道 呉羽山越えのルートはどのような変遷をたどってきたのでしょうか? 富山市郷土博物館の「博物館だより第五十一号」によると、中世には現在の富山市民俗民...
秀吉が陣を張った場所&上杉勢の最前線 1585(天正13)年8月、豊臣秀吉が富山城の佐々成政を攻めた時、今の射水市太閤山付近(射水市文化・スポーツ課によれば、パチンコ屋「LUCKY」の看板の...
四ツ谷川と冷川が合流 今年もたくさんの花見客で賑わった松川は、戦国時代から大正時代初期まで、富山市中心部を蛇行して流れていた神通川の忘れがたみで、神通川の水が流れていると思われ...
上杉、織田 覇権争いの舞台 旧8号線で、呉羽から小杉方面に向かう途中に、「願海寺」という三叉路があるのをご存知の方は多いと思う。その近くに、戦国時代、願海寺城というお城があり、...