カテゴリー: 富山の風景

布市藩陣屋跡推定地(富山市)

江戸時代初期頃に8年間存在した藩  富山県内で、藩と言えば、富山藩や加賀藩だが、富山市布市一帯に、8年間だけ、1万石の布市藩が存在していたという。これは、慶長5(1600)年の関ヶ原の合戦の時...

木舟城跡(高岡市福岡町)〈稲葉山牧場・子撫川(宮島峡)の一ノ滝と二ノ滝〉

 木舟城は、1184年、前年に木曾義仲に従って倶利伽羅峠の戦いで活躍した豪族・石黒太郎光弘が築いた城と伝えられる。石黒氏は、戦国時代、砺波郡の有力国人領主に成長。石黒成綱は最初上杉方に従い、謙...

栂野彦八顕彰碑(富山市)

魚の行商禁止に死をもって抗議  富山藩領四浦(西岩瀬・四方・打出・練合)の一つ四方港は、寛文12年(一六七二)、富山藩大坂廻米の積出港となったことから始まったが、後には漁港として繁栄していった...

古川(富山市)…かつての神通川河口の名残り

 神通川の河口は、少なくとも江戸時代初期においては、西岩瀬・四方付近を流れていた(それ以前には、打出を流れていたこともあったとか)。  室町時代に成立したとされ、わが国で最も古いといわれる海商...

呉羽の三茶屋(富山市)

▲富山道の稲荷社方面をのぞむ。「この道路行き止まり」の看板があり、稲荷社下で舗道は終わる(現在、かつての峠越えができるように工事が行われている)。     暖かい日は、里山散歩などい...

安住橋(富山市)

昭和8年に竣工したアーチ橋  富山市の中心部を流れる松川にかかる安住橋では、昨年から、市内電車環状線(セントラム)の運行開始にあわせ、補強工事が行われていたが、2月初旬には完了した。  安住橋...

白鳥神社(富山市)

白鳥捕獲伝承地の一つ    西に東に転戦した日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、伊吹山で大氷雨を降らす山神との戦いに破れ、伊勢の能褒野(のぼの)で亡くなった。その霊魂は白鳥となって天...

筏橋碑(富山市)

飛騨街道・熊野川越えのいかだ橋  文政6年(1823年)に石黒信由が製作した「新川郡一町一分分間絵図」によると、江戸時代後期、飛騨街道は下熊野において筏橋により熊野川を渡り、左岸の任海村の堤防...

一里塚の跡(富山市、射水市)

吉作、黒河、三ケに残る街道の面影  富山県歴史の道調査報告書―北陸道―(富山県教育委員会・1980年)によると、近世(1568〜1867)初期に北陸道本道に構築された一里塚は23基あったそうだ...

明神峠越え(富山市)

呉羽山を越える旧北陸道の峠道    呉羽山越えのルートはどのような変遷をたどってきたのでしょうか?  富山市郷土博物館の「博物館だより第五十一号」によると、中世には現在の富山市民俗民...

太閤山、日宮城跡(射水市)

秀吉が陣を張った場所&上杉勢の最前線  1585(天正13)年8月、豊臣秀吉が富山城の佐々成政を攻めた時、今の射水市太閤山付近(射水市文化・スポーツ課によれば、パチンコ屋「LUCKY」の看板の...

松川の起点(富山市)

四ツ谷川と冷川が合流    今年もたくさんの花見客で賑わった松川は、戦国時代から大正時代初期まで、富山市中心部を蛇行して流れていた神通川の忘れがたみで、神通川の水が流れていると思われ...

願海寺城址と七曲がり(富山市)

上杉、織田 覇権争いの舞台    旧8号線で、呉羽から小杉方面に向かう途中に、「願海寺」という三叉路があるのをご存知の方は多いと思う。その近くに、戦国時代、願海寺城というお城があり、...