古川(富山市)…かつての神通川河口の名残り
神通川の河口は、少なくとも江戸時代初期においては、西岩瀬・四方付近を流れていた(それ以前には、打出を流れていたこともあったとか)。 室町時代に成立したとされ、わが国で最も古いといわれる海商...
神通川の河口は、少なくとも江戸時代初期においては、西岩瀬・四方付近を流れていた(それ以前には、打出を流れていたこともあったとか)。 室町時代に成立したとされ、わが国で最も古いといわれる海商...
▲富山道の稲荷社方面をのぞむ。「この道路行き止まり」の看板があり、稲荷社下で舗道は終わる(現在、かつての峠越えができるように工事が行われている)。 暖かい日は、里山散歩などい...
神保×椎名、織田×上杉の戦いの舞台 1520年頃まで、神保氏は神通川の西側を統治していたが、神保長職が1543年に神通川を越えて椎名氏の領地に富山城を築いたため、両者の抗争が本格化したという...
吉作、黒河、三ケに残る街道の面影 富山県歴史の道調査報告書―北陸道―(富山県教育委員会・1980年)によると、近世(1568〜1867)初期に北陸道本道に構築された一里塚は23基あったそうだ...
呉羽山を越える旧北陸道の峠道 呉羽山越えのルートはどのような変遷をたどってきたのでしょうか? 富山市郷土博物館の「博物館だより第五十一号」によると、中世には現在の富山市民俗民...
秀吉が陣を張った場所&上杉勢の最前線 1585(天正13)年8月、豊臣秀吉が富山城の佐々成政を攻めた時、今の射水市太閤山付近(射水市文化・スポーツ課によれば、パチンコ屋「LUCKY」の看板の...
四ツ谷川と冷川が合流 今年もたくさんの花見客で賑わった松川は、戦国時代から大正時代初期まで、富山市中心部を蛇行して流れていた神通川の忘れがたみで、神通川の水が流れていると思われ...
上杉、織田 覇権争いの舞台 旧8号線で、呉羽から小杉方面に向かう途中に、「願海寺」という三叉路があるのをご存知の方は多いと思う。その近くに、戦国時代、願海寺城というお城があり、...
かつての北陸道は、富山町のどこを通っていたのでしょうか?富山市郷土博物館ホームページの「博物館だより」第十五号をもとに西から見て行きましょう。 北陸道は愛宕町で富山町に入りました。その後、...
月岡に残る歴史の数々 地鉄上滝線・月岡駅近くの壇ノ山の東側一帯(現在、月読社の鳥居が残るあたり)には、越中神話の語る「月見が池」という大きな池が広がっていたらしい。第十代崇神(...
神通川の歴史を伝える 富山市中心部から高岡方面に有沢橋を渡る時、左前方の堤防上に、1918年(大正7年)に落成した木造橋、2代目有沢橋の橋台を見ることができる。(運転にはご注意...