前田十万石の城下町・富山町を通った北陸道(富山市)
かつての北陸道は、富山町のどこを通っていたのでしょうか?富山市郷土博物館ホームページの「博物館だより」第十五号をもとに西から見て行きましょう。 北陸道は愛宕町で富山町に入りました。その後、...
かつての北陸道は、富山町のどこを通っていたのでしょうか?富山市郷土博物館ホームページの「博物館だより」第十五号をもとに西から見て行きましょう。 北陸道は愛宕町で富山町に入りました。その後、...
月岡に残る歴史の数々 地鉄上滝線・月岡駅近くの壇ノ山の東側一帯(現在、月読社の鳥居が残るあたり)には、越中神話の語る「月見が池」という大きな池が広がっていたらしい。第十代崇神(...
神通川の歴史を伝える 富山市中心部から高岡方面に有沢橋を渡る時、左前方の堤防上に、1918年(大正7年)に落成した木造橋、2代目有沢橋の橋台を見ることができる。(運転にはご注意...
貯砂量日本一の砂防堰堤を望む 雄大な滝を見る事ができるのがこちら。「常願寺川 水辺の楽校」として整備され、近くの小学校の総合学習の時間を利用した体験学習の場としても使われている...
米騒動発祥の地 大正7年(1918年)7月23日、汽船・伊吹丸が北海道行の米を積み出す為に魚津町(現・魚津市)に入港。艀船で積み込みの荷役中、それを聞いた漁師の主婦ら数十人が十二銀行(現・北...
加賀藩の役宅 江戸時代中期の豪農民家の建築様式を当時のまま残す貴重な建物 浮田家が現在の地に定住した年代等出身について明らかではありませんが、三代宗兵衛が加賀藩から奥山絵図方に任命され、元禄...
呉羽丘陵の生いたちを学ぶ ▲3つの異なる地層が見られる(右側には看板があるが、こちらは歩道が狭く車に注意。なお、反対側の道路沿いには車をとめられるスペースがある) ▲それぞれの地層の名前 呉...
佐々成政に攻められ落城 ▲道路からのぞむ城生城跡がある丘陵。 富山の城を調べていると、見慣れない名前の城があった。「城生城」と書いて、「じょうのじょう」と読む。案内板によると、城生という場所...
大伴家持も参拝 五福の交差点から国道359号をつなぐ比較的新しい道沿いにあるのが、こちらの鵜坂神社。入口の案内板によると歴史は古く、第10代崇神天皇の御代(紀元前97年〜紀元前...
縄文中期の示標土器が発掘 富山市茶屋町から高岡市戸出地区を経て小矢部市芹川を結ぶ県道9号富山戸出小矢部線。1609年に高岡のまちができるまで、中世以前から北陸道の本街道として利用された。また...
明治32年3月に開業 富山駅は、最初はもっと西側にあったのをご存知ですか?場所は、田刈屋地下道の東側から富山地方気象台にかけて。なぜそこに作られたのかというと、神通川の馳越線工事が計画されて...