常願寺川 水辺の楽校・本宮砂防堰堤(立山町)
貯砂量日本一の砂防堰堤を望む 雄大な滝を見る事ができるのがこちら。「常願寺川 水辺の楽校」として整備され、近くの小学校の総合学習の時間を利用した体験学習の場としても使われている...
貯砂量日本一の砂防堰堤を望む 雄大な滝を見る事ができるのがこちら。「常願寺川 水辺の楽校」として整備され、近くの小学校の総合学習の時間を利用した体験学習の場としても使われている...
米騒動発祥の地 大正7年(1918年)7月23日、汽船・伊吹丸が北海道行の米を積み出す為に魚津町(現・魚津市)に入港。艀船で積み込みの荷役中、それを聞いた漁師の主婦ら数十人が十二銀行(現・北...
加賀藩の役宅 江戸時代中期の豪農民家の建築様式を当時のまま残す貴重な建物 浮田家が現在の地に定住した年代等出身について明らかではありませんが、三代宗兵衛が加賀藩から奥山絵図方に任命され、元禄...
呉羽丘陵の生いたちを学ぶ ▲3つの異なる地層が見られる(右側には看板があるが、こちらは歩道が狭く車に注意。なお、反対側の道路沿いには車をとめられるスペースがある) ▲それぞれの地層の名前 呉...
佐々成政に攻められ落城 ▲道路からのぞむ城生城跡がある丘陵。 富山の城を調べていると、見慣れない名前の城があった。「城生城」と書いて、「じょうのじょう」と読む。案内板によると、城生という場所...
大伴家持も参拝 五福の交差点から国道359号をつなぐ比較的新しい道沿いにあるのが、こちらの鵜坂神社。入口の案内板によると歴史は古く、第10代崇神天皇の御代(紀元前97年〜紀元前...
縄文中期の示標土器が発掘 富山市茶屋町から高岡市戸出地区を経て小矢部市芹川を結ぶ県道9号富山戸出小矢部線。1609年に高岡のまちができるまで、中世以前から北陸道の本街道として利用された。また...
明治32年3月に開業 富山駅は、最初はもっと西側にあったのをご存知ですか?場所は、田刈屋地下道の東側から富山地方気象台にかけて。なぜそこに作られたのかというと、神通川の馳越線工事が計画されて...
上杉謙信が一揆勢と合戦 新庄城は、現在の新庄小学校にあり、東に常願寺川、西に荒川を望む要害の地にあり、北陸道に面する交通の要衝でもあったため、早くから軍事上の拠点として重要であ...
白鳥城の出城として築城 安田城と大峪城は、天正13(1585)年、天下統一を目指す豊臣秀吉が富山城の佐々成政を攻めた時、秀吉の本陣となった白鳥城の支城となった城といわれる。 安田城跡は昭和...
晴れた日は欄干に美しい陰影 水路橋というと、ローマの遺跡を想像する方もあると思いますが、富山県内にも水路橋があるのをご存知でしょうか?場所は、常願寺川の立山橋上流。赤い欄干の橋の上から遠くに...