松川といたち川の合流点(富山市)
かつて川湊(河岸)があった場所 立山連峰からの雪解け水が、常願寺川、常西合口用水を経て、一方は、いたち川となり、一方は農業用水を経て、四ツ谷川、冷川などになり、さらに松川となって流れ、この場...
かつて川湊(河岸)があった場所 立山連峰からの雪解け水が、常願寺川、常西合口用水を経て、一方は、いたち川となり、一方は農業用水を経て、四ツ谷川、冷川などになり、さらに松川となって流れ、この場...
富山の歴史を伝える 松川遊覧船のりば「松川茶屋」の裏に大きな石碑が建っていますが、これは、「千歳桜の碑石」と呼ばれます。江戸後期、富山10代藩主の前田利保が藩主の座を利友にゆずった後、嘉永2...
富山の豊かな水を感じられる場所 県庁前公園は、昭和40年(1965年)に県民の憩いと語らいの場となることを目的として、戦災復興土地区画整理事業により整備された近隣公園で、敷地面積は、1・2ヘ...
今回の「富山の風景」は、私達にとってあまりにも身近な富山城とその周辺にスポットを当ててみました。見慣れていると思っても、剱岳が遠くに顔を出していたり、お城の上に月が出ていたり、サギが身近にいた...
江戸時代、北陸街道で高岡方面から富山城下に入る時、神通川に架かる船橋を渡りました。船橋とは、小船をつないで上に板をわたしたもの。最大64艘の小船がつながれた大規模なもので、日本一と言われまし...
文明開化とともに生まれたガス燈は、富山市では大正2年に、神通川べり(現在の松川べり)で点燈されました。その明りは、水面に映え、多くの市民を魅了したといいます。昭和63年に、国際ロータリー第2...
奥田用水の取水堰 いたち川の通称〝ドンドコ〟は、奥田用水の取水堰です。ちなみに、〝ドンドコ〟は、富山の方言で、河川に設けられている取水堰や落差工の通称。水が勢いよく流れ落ちる様や音からその名...
江戸から明治にかけ、主要な物流ルート 今回は、松川といたち川の合流点から下流側のいたち川の景色を見ていきましょう。 実はこの部分は、かつての神通川の川筋に当たります。(明治時代に入り、城を...
サイフォンの原理を使った施設と言えば、兼六園の霞ヶ池から、谷間の堀の下を通って金沢城に水を上げていた辰巳用水の伏越(逆サイフォン)が有名だが、富山にもサイフォンの原理を使った施設がある。黒部...
旧北陸道沿いにあった商家が発祥 寛永16年(1639年)に加賀藩から富山藩が分藩。その後、万治2年(1659年)の領地替えで富山城が富山藩の正式な居城となり、城下町の整備が進め...
初代県知事 国重正文の元私邸 北陸新幹線の黒部宇奈月温泉駅から約250メートルの距離にある「松桜閣」は、初代富山県知事の国重正文が、明治16年から同21年の在任中に住宅として使...
美しい緑の丘陵と、眺望に感激! 2007年7月号でもご紹介した富山市婦中町千里の高台にある「丘の夢牧場」。前回はモノクロでしたが、今回はカラーでどうぞ。 この牧場は、富山県畜...
晴れた日に望む富山湾が絶景です 以前もご紹介したことがある東福寺野自然公園ですが、近年、ふわふわドームや滑り台等の遊具が充実していることから再度お取り上げしました。 今回訪れ...