富山城の鏡石(富山市)
藩主の権力の象徴。前田利長が富山城を築城した頃に配置。 富山城の本丸鉄門石垣(大手筋)の通路に、5つの巨石が埋め込まれています。これは、鏡石と呼ばれ、石の表面が鏡のように平らな...
藩主の権力の象徴。前田利長が富山城を築城した頃に配置。 富山城の本丸鉄門石垣(大手筋)の通路に、5つの巨石が埋め込まれています。これは、鏡石と呼ばれ、石の表面が鏡のように平らな...
緑あふれる清々しいパワースポット 雄山山頂の峰本社の里宮である雄山神社前立(まえだて)社壇(岩峅寺)と、中宮(ちゅうぐう)である雄山神社祈願殿(芦峅寺)。ともに、緑があふれる清...
洞窟で修行をした女行者が発見した奇跡の水 穴の谷の霊水といえば、県内を代表する霊水だが、これまで詳しい史実や水の科学的分析をまとめて書いたものがなかったことから、今年春、地元の...
御坊町(現桃井町)の篤志家が建立、現在地に遷座 江戸時代の安政(1854〜60年)の頃、御坊町(現桃井町)の篤志家が、釈迦如来・阿弥陀如来・薬師如来・大日如来・阿閦如来の石像「...
芝園小・中学校の神通川側の土手に設置 神通川は、かつてここから大きく東に曲がり、富山城の北側を流れていました。そのため堤防が決壊しやすく、たびたび氾濫を起こしては人々を苦しめて...
小水力発電所として発電を行う 常願寺川に架かる赤い欄干の立山橋そばの常西水神社の隣にあるのが、こちらの「常西公園小水力発電所」の水車である。水車が採用されたのは、環境啓発のため...
富山市内を水害から守る 松川の上流、磯部の堤の途中に、松川水門がある。松川の上流からの水量が増えた場合、上の写真の赤い水門を閉じることで、中心部へ流れる松川の水量を止めることが...
明治41年〜昭和20年まで37年間配置 富山市五福の県営富山野球場のそばに、「富山歩兵聯隊跡」という石碑が立っている。1907年(明治40年)10月30日、金沢の歩兵第7連隊お...
金刀比羅社の常夜燈がモデル 富山港展望台は、富山市の海の玄関口である富山港のシンボル的施設として、伏木富山港(富山地区)港湾環境整備事業(緑地)の一環で昭和60年11月に建設さ...
美しい景観と、多彩な植物に出会う 広大な敷地にさまざまな植物が植えられ、四季折々の花や景色等が楽しめる富山県中央植物園は、平成元年から日本海側初の総合植物園として...
常東用水と常西用水に分水 横江頭首工で常願寺川の右岸から取水された農業用水は、今回ご紹介する「両岸分水工」で、常願寺川右岸の「常東用水」と、左岸の「常西用水」に分水されています。初代の両岸分...
富山県内における代表的寺子屋 堤町通りの池田屋安兵衛商店さんから少し入ったところ(現在の「酒のとよた」さんの付近)に、江戸時代中期から明治時代にかけての富山県内における代表的寺子屋「臨池居」...
城址公園、城址大通り沿いに立つ 城址公園の城址大通り沿いには、高浜虚子門下の四天王の一人と称され、俳句結社「辛夷」を主宰した前田普羅の句碑(写真右)と、郷土文化誌『高志』に集った歌人・藻谷銀...