萬霊塔(いたち川 千歳橋下流 右岸)
江戸時代、大火で亡くなった人々の霊を慰める 天保2年(1831年)、4月12日の正午過ぎに富山の街で火災が発生。南からの季節風が強く吹いていたため火は瞬く間に燃え広がり、富山の街のほとんどが...
江戸時代、大火で亡くなった人々の霊を慰める 天保2年(1831年)、4月12日の正午過ぎに富山の街で火災が発生。南からの季節風が強く吹いていたため火は瞬く間に燃え広がり、富山の街のほとんどが...
県内でサイフォン式の用水と言えば、魚津市の東山円筒分水槽や牛ヶ首用水の2カ所のサイフォンが有名ですが、富山市の中心部、富岩運河(木場橋のすぐ下流側)にも地下を通って横切る用水があります。案内...
シダレザクラが美しい 松川へ、土川から浄化用水を導入する「松川浄化用水導入施設」の近くにある松尾神社。春には、シダレザクラが美しく咲き誇る。 ちなみに、全国にある松尾神社の総本社は京都市西...
松川(旧神通川の名残り)に架かる「舟橋」の4つの親柱に、旧神通川船橋のそれぞれ異なった古絵図や古写真が金属に加工されて埋め込まれている。これは、この場所に船橋が架けられていたことによる。 ...
昆布の消費金額が日本一の富山市。この理由について、『昆布を運んだ北前船 昆布食文化と薬売りのロマン』(塩照夫著)という本では、①北前船が下地を作った、②富山の薬売りの影の力による、③明治以降...
比叡山の麓に鎮座する日吉大社は、およそ2100年前、崇神天皇7年に創祀された、全国3800余の日吉・日枝・山王神社の総本宮。古くは「日枝」「比叡」と書き「ヒエ」と呼ばれていたが、平安時代頃よ...
『神通川と呉羽丘陵 ふるさとの風土』(廣瀬誠著、桂書房)には、神通川と呉羽丘陵を中心に富山の歴史がわかりやすく書かれている。その中に「神通川と富山城」という項がある。それによると、かつて富山...
富山市柳町の於保多神社は、創始が弘長3年(1263年)と古い。菅原道真を祭り、後に富山藩祖前田利次、2代藩主正甫、10代藩主利保を合祀した。宝物には菅原道真公筆三社託宣書、菅公渡唐絵像等があ...
明治の西洋音楽黎明期における代表的な音楽家の一人である滝廉太郎〔1879年(明治12年)8月24日〜 1903年(同36年)6月29日〕は、7〜8歳の頃を小学校(富山県尋常師範学校附属小学校...
今月号の「本道楽コーナー」(右ページ)は山田孝雄博士の『櫻史』をご紹介したので、山田博士について、神通川や立山との関係にも触れながら、もう少し掘り下げてみてみよう。 山田氏は、富山中学を2...
2013年9月号の当コーナーで「神通川の水源と飛騨一ノ宮水無(みなし)神社」を紹介した。「飛騨一ノ宮水無神社」の社名の〝水無〟には諸説あり、「水主(川の水源をつかさどる神)」の意味や、社前を...
「中越商工便覧」(川崎源太郎 著、明治22年2月発行)には、明治時代前半頃の様々な商家の建物が描かれている。薬舗の中田清兵衛(家号 茶ノ木屋)、中田書籍店、呉服商などに混じって、数多く登場す...
常願寺川扇状地の先端部分で湧き出す 安政5年(1858年)の飛越地震で、常願寺川の水源である大鳶山、小鳶山が崩壊、いたち川が氾濫し、多くの人々が犠牲になり、その霊を慰めるために...
桃山末期に有沢に「鹿嶋社」として創建されたという鹿嶋神社。富山藩2代藩主・前田正甫公は鹿嶋の神を産土神として崇敬になり、新たに現在地に遷宮され、富山藩の「裏鬼門除け祈願所」として、磯部一帯に...
2006年8月号の「富山の史跡」特集の中でも取り上げましたが、古来より、「富山市」の市名は、今回ご紹介する「富山寺」の寺号に起因すると言われてきたそうです。 案内看板により、詳しくみてみま...