柳町天満宮 於保多神社
富山市柳町の於保多神社は、創始が弘長3年(1263年)と古い。菅原道真を祭り、後に富山藩祖前田利次、2代藩主正甫、10代藩主利保を合祀した。宝物には菅原道真公筆三社託宣書、菅公渡唐絵像等があ...
富山市柳町の於保多神社は、創始が弘長3年(1263年)と古い。菅原道真を祭り、後に富山藩祖前田利次、2代藩主正甫、10代藩主利保を合祀した。宝物には菅原道真公筆三社託宣書、菅公渡唐絵像等があ...
明治の西洋音楽黎明期における代表的な音楽家の一人である滝廉太郎〔1879年(明治12年)8月24日〜 1903年(同36年)6月29日〕は、7〜8歳の頃を小学校(富山県尋常師範学校附属小学校...
今月号の「本道楽コーナー」(右ページ)は山田孝雄博士の『櫻史』をご紹介したので、山田博士について、神通川や立山との関係にも触れながら、もう少し掘り下げてみてみよう。 山田氏は、富山中学を2...
2013年9月号の当コーナーで「神通川の水源と飛騨一ノ宮水無(みなし)神社」を紹介した。「飛騨一ノ宮水無神社」の社名の〝水無〟には諸説あり、「水主(川の水源をつかさどる神)」の意味や、社前を...
「中越商工便覧」(川崎源太郎 著、明治22年2月発行)には、明治時代前半頃の様々な商家の建物が描かれている。薬舗の中田清兵衛(家号 茶ノ木屋)、中田書籍店、呉服商などに混じって、数多く登場す...
常願寺川扇状地の先端部分で湧き出す 安政5年(1858年)の飛越地震で、常願寺川の水源である大鳶山、小鳶山が崩壊、いたち川が氾濫し、多くの人々が犠牲になり、その霊を慰めるために...
桃山末期に有沢に「鹿嶋社」として創建されたという鹿嶋神社。富山藩2代藩主・前田正甫公は鹿嶋の神を産土神として崇敬になり、新たに現在地に遷宮され、富山藩の「裏鬼門除け祈願所」として、磯部一帯に...
2006年8月号の「富山の史跡」特集の中でも取り上げましたが、古来より、「富山市」の市名は、今回ご紹介する「富山寺」の寺号に起因すると言われてきたそうです。 案内看板により、詳しくみてみま...
旧飛騨街道への起点 TOYAMAキラリの右側から電車通りに向かって斜めに伸びる『太田口通り』。この通りは、江戸時代に富山藩領が町割された当初から要の町であり、飛騨街道への起点で...
富山県立図書館に所蔵されている江戸時代に描かれた「越中富山御城下絵図」「富山御城下絵図」には、富山城の西南の郊外、四ツ屋(谷)川と佐野川の合流点付近に塩硝蔵と番人小屋が記載されている。 ち...
小誌の今年2月号の『とやまの話』コーナーで、「富山町の水車」をお取り上げしたが、どこかにその痕跡がないものかと思っていたら、いたち川に注ぐ与茂太郎川(いたち川上流の〝どんどこ〟の付近から取水...
川が蛇行していたために、水害が発生し、バイパスを作ったという点で、同じ歴史を持つ神通川(蛇行部分の名残りが、松川といたち川)と米国・サンアントニオ川。 ところが、同縮尺で見てみると、下記の...
県が整備を進めてきた滑川市の沖田川放水路がこのほど竣工した。 沖田川は、かんがい用排水路として整備されてきたため、流下能力が小さく、これまで洪水による被害がたびたび発生してきた。平成13年...
天正5年9月23日(1577年11月3日)、石川県の手取川下流一帯で、織田軍主力と上杉軍主力の、初めての、そして1回きりの戦いが行われた。 9月15日、上杉謙信は七尾城を攻略したが、織田軍...
北陸新幹線の上越妙高駅から車で10分程のところにある高田城跡の高田公園は、明治時代、陸軍第13師団の入城時に3,000本を超すソメイヨシノが植栽され、日本三大夜桜の一つとして有名である。ちな...