太田口通り(富山市)
旧飛騨街道への起点 TOYAMAキラリの右側から電車通りに向かって斜めに伸びる『太田口通り』。この通りは、江戸時代に富山藩領が町割された当初から要の町であり、飛騨街道への起点で...
旧飛騨街道への起点 TOYAMAキラリの右側から電車通りに向かって斜めに伸びる『太田口通り』。この通りは、江戸時代に富山藩領が町割された当初から要の町であり、飛騨街道への起点で...
富山県立図書館に所蔵されている江戸時代に描かれた「越中富山御城下絵図」「富山御城下絵図」には、富山城の西南の郊外、四ツ屋(谷)川と佐野川の合流点付近に塩硝蔵と番人小屋が記載されている。 ち...
小誌の今年2月号の『とやまの話』コーナーで、「富山町の水車」をお取り上げしたが、どこかにその痕跡がないものかと思っていたら、いたち川に注ぐ与茂太郎川(いたち川上流の〝どんどこ〟の付近から取水...
川が蛇行していたために、水害が発生し、バイパスを作ったという点で、同じ歴史を持つ神通川(蛇行部分の名残りが、松川といたち川)と米国・サンアントニオ川。 ところが、同縮尺で見てみると、下記の...
県が整備を進めてきた滑川市の沖田川放水路がこのほど竣工した。 沖田川は、かんがい用排水路として整備されてきたため、流下能力が小さく、これまで洪水による被害がたびたび発生してきた。平成13年...
天正5年9月23日(1577年11月3日)、石川県の手取川下流一帯で、織田軍主力と上杉軍主力の、初めての、そして1回きりの戦いが行われた。 9月15日、上杉謙信は七尾城を攻略したが、織田軍...
北陸新幹線の上越妙高駅から車で10分程のところにある高田城跡の高田公園は、明治時代、陸軍第13師団の入城時に3,000本を超すソメイヨシノが植栽され、日本三大夜桜の一つとして有名である。ちな...
焼岳といえば、神通川の上流、高原川の上流にある山で、大昔から何度も大きな噴火を繰り返してきた。上高地の大正池は、1915年(大正4年)の焼岳の噴火で、梓川がせきとめられてできたという。飛騨山...
1997年(平成9年)6月4日発行の博物館だより(富山市郷土博物館)によると、江戸時代の富山城は、初代藩主前田利次によって寛文元年(1661年)以降整備され、明治時代までその城域はほとんど変...
富山市立南部中学校の場所には、かつて、富山県師範学校、その後の富山大学教育学部があったそうです。 そのため、昭和58年11月に、富山教育学総会が母校創立110年記念で「富山県師範学校址」と刻ま...
今井兼平(かねひら)と言えば、兄・樋口兼光(かねみつ)、根井行親(ねのいゆきちか)、楯親忠(たてちかただ)とともに木曽四天王といわれた人物。木曽義仲の養父・木曽の豪族・中原兼遠(かねとお)の...
「こんぴらさん」とも言われ、神通川の漁師さん達の漁の安全、大漁祈願の神社として知られる金刀比羅神社。昔は神通川の鱒をお供えしていたそうだが、現在は鱒のすしをお供えしているそうだ。その由来につ...
北陸新幹線開業で近くなる長野市の名所はどこかと調べていると、有名な「善光寺」と並んで紹介されていたのが、こちら、戸隠神社。戸隠山周辺に、宝光社、火之御子社、中社、九頭龍社、奥社の5社がある。...
義仲寺は、木曽義仲公の御墓所。国指定史跡である。義仲寺がある滋賀県大津市馬場1丁目の周辺は、古くは粟津ヶ原(あわづがはら)といい、琵琶湖に面し、景勝の地であったという。 義仲は、信濃で平氏...
京浜工業地帯の父と呼ばれる氷見市出身の浅野総一郎翁の銅像が、生誕の地である氷見市藪田の海岸線を走る国道160号線沿いの公園内に、2008年7月20日に設置されました。 翁は、幾多の失敗と挫...